日本にも言えることだが、政治のメディア化が進むほどに、政策論争は遠のき、レトリックと相手をやり込めるテクニックばかりが発達する。アメリカ大統領選挙はまさにそんな様相を呈してきた。ニューヨーク在住ジャーナリスト・佐藤則男氏がリポートする。
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10月15日夜(現地時間)、トランプ大統領とバイデン前副大統領が、それぞれ別々にタウンホール形式の討論会を開いた。もともとは第2回のテレビ討論会が予定されていた日だが、トランプ氏のコロナ感染により中止に。そのかわり、それぞれが別のテレビ局の中継で主張を戦わせたのである。
筆者は両中継を注目して見たが、あまり意味のある討論とは思わなかった。司会者と両候補の議論はあったが、どうせやるなら専門家を呼んで質問させるなど、もっと有意義な内容になるよう工夫すべきだったと感じた。
例えばコロナ問題では、トランプ氏は21万人もの死者が出ていることに対する責任を司会者から問われ、「自分がいなければ200万人が死んでいたはずで、その人たちの命を救ったのだ」と強弁した。一方のバイデン氏は、「トランプ大統領は(コロナを過小評価するコメントを出すことで)パニックを防ごうとしたというが、本当にパニックになっていたのは国民ではなく彼のほうだ」と論難した。いずれも無内容な言葉遊びにすぎない。
トランプ氏は現職大統領なのだから、コロナ対策に責任を負うのは当然である。彼は、2月はじめには国家安全保障担当補佐官から、これは大変な新型ウイルスであると警告を受けていながら何もしなかった。バイデン氏が指摘したように、それは「国民をパニックにさせないためだった」と後に述べたが、事実はおそらく違う。元国務省幹部のA氏は、「おそらく大統領は補佐官の警告を無視したのだろう。それほど重大だと考えなかったのだと思う。その誤解に気づいたときにはすでに遅く、パンデミックが始まっていた。その失態を覆い隠すため嘘を重ねる必要が生じ、そのせいで事態はさらに悪化していった」と推測した。