母親の看病で帰省中のミナミさんに思いを告げるべく、行商先を山形と決めた繁太郎は、クセの強い品々を着々と売りまくる。ダルさんが言う通り、どんな商品も買い手は探せばいるという原点にすら、彼の珍道中は気づかせてくれるのだ。
「僕も昔、物産展で団子を売るアルバイトをしていて、ほぼ毎週同じメンツで全国を回り、帰りはカラオケに行ったりとか、この仕事を一生続けてもいいと思うくらい、楽しかったんですよ。
その感覚の上に、仕事で行ったペルーの日系人の話とか、過去に思い付いた地方のボウリング場に球を売る話なんかが重なっていって。あと、八百屋をやっていた母方の祖父がユニークな人で、繁松郎に少し似ているかな、とか。とにかく話がどんどん自転していくので、やり過ぎないように、いつでもブレーキを踏める状態で書きました。
繁太郎は確かにダメな人間だけど、人を騙すとか、悪意があるわけではない。人は誰しもズレている以上、とりあえずその時、その場でやれることを組み立てていけばいい気もするんです」
共感よりも観察に徹する作家にしか見えないものが、本作にも脈絡なくちりばめられ、声をあげて笑ったり、思わぬ急所をつかれて涙したり、何やら忙しい読書になった。
【プロフィール】
戌井昭人(いぬい・あきと)/1971年東京都生まれ。玉川大学文学部演劇専攻卒業後、かつて祖父・戌井市郎氏も代表を務めた文学座に参加。退所後の1997年に劇団・鉄割アルバトロスケットを旗揚げし、劇作家、俳優として活躍。2008年「鮒のためいき」で小説デビューし、2009年「まずいスープ」、2011年「ぴんぞろ」、2012年「ひっ」、2013年「すっぽん心中」と、計4回芥川賞候補に。2014年『すっぽん心中』で川端康成文学賞、2016年『のろい男 俳優・亀岡拓次』で野間文芸新人賞。178.5cm、74kg、A型。
構成■橋本紀子 撮影■喜多村みか
※週刊ポスト2020年11月27日・12月4日号