愛嬌も意欲も趣味も特にない繁太郎にあるとすれば、大学の〈かるたサークル〉で培った集中力と、〈枇杷のアレルギー〉くらいのもの。茅ヶ崎に建つ祖父の別荘に家政婦の〈タカヨさん〉や猫の〈ダン之介〉と暮らし、発明家夫婦〈ダルさん〉と〈ヌルさん〉が営む研究所に自転車で通う彼は、営業担当なのに商品説明も満足にできず、客に詰られても、どこ吹く風だ。

 そもそも商品カタログに並ぶのは〈招き猫の防犯グッズ〉に〈絶対にストライクを出すボウリング球〉、人間も入る〈巨大タッパー〉と怪しげな商品ばかり。それでも〈売れるかもしれないよ〉、〈単純、単純、世の中は単純さ〉と、ダルさんは胸を張った。

「そう楽観できたらいいんですけどね。昔は常識がないとよく言われた僕もそうだし、アレルギーと知りつつ枇杷やサクランボをつい食べてしまう繁太郎も、やはり社会人としてはダメなんだと思います(苦笑)」

 就活に全敗し、コネで入った銀座のギャラリーでも無能扱いされる繁太郎。繁松郎はそんな孫を何かと気にかけ、馴染みの店へと誘うのだった。

話がどんどん自転していく

 そもそも勝田家の繁栄は、柔術家を志す曾祖父が南米ペルーに渡り、さる日系人実業家の信頼を得たことで始まる。兄が事業を継ぐ一方、次男繁松郎は美大に進み、苦労の末に檜原村に工房を建設。故郷リマの空の色に因んだ壺〈天明群青咲麻呂戯〉などの作品には今やウン千万の値が付き、50を境に山を下りてからは専ら酒色三昧の日々を送っていた。

 衒いのない孫を唯一評価するこの大陶芸家は、〈邪心などどこ吹く風の、繁太郎にこそ焼き物をやって欲しい〉と切望する。が、単なる壺に高値がつくこと自体、腑に落ちない繁太郎は、高級鮨屋でゲソの値段を聞いて仰天し、〈ゲソのありがたみというのがわからなくなってきます。やはりゲソは安くて美味しいというのが良いところなので、高いとなるとありがたみが半減します〉と、とことん考え抜くマイペースな男でもあった。

 そんな繁太郎のおかげで物の値段や価値が逐一問い直され、それがゲソのありがたみという一言に集約される辺り、実に痛快だ。

「自分ではシックなものを書いたつもりが読者の反応が違ったり、え、そんなに笑える話? と思うことは実はよくあります(笑い)。

 もちろん大して言いたいことがある話じゃないんだけど、表題が決まってからはそれに引っ張られた感じもありましたね。つまり“壺”です。空っぽの。それが中に何かある話に最後はなっていくんですが、何も入ってない壺に高い値段がついたり、あの人はどんな人だと他人から評価されたり、考えてみると面白いですよね?」

 その後も祖父は孫を銀座に連れ回し、ご贔屓のママ〈蘭さん〉や昼は専門学校に通う山形出身の〈ミナミさん〉と4人、タカヨさんお手製のタンシチューを囲む日を心待ちにしたりもする。この計画は諸々あって流れてしまうのだが、それまで人を気遣うことのなかった繁太郎が相手の気持ちを慮る喜びに目覚めるほど、恋の力は偉大だった。

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