昨年の8月、9月と2度にわたって開催されたセレクションには200人近い応募が殺到した。セレクションを勝ち抜き、会社の面接も突破して合格したのは10人。高校時代に甲子園に出場し、日大、駒大、桐蔭横浜大、関東学院大など名門大に進学した選手がズラリ。だが、彼らのなかはプロを目指していたものの挫折を味わい、「野球は2度とやらない」と考えていた選手も多い。
城島大輝はその1人だ。経歴を見るとまさに野球エリートで、関西の強豪「神戸中央リトルシニア」に所属し、世界大会に出場。龍谷大平安高に特待生で入学している。3年春の選抜大会で甲子園に「1番・中堅」で出場した。同学年で仲が良かったエース・高橋奎二がヤクルトに入団し、「オレも絶対にプロに行く」と大きな刺激を受けていた。
しかし、日大進学後に運命が暗転する。強肩強打の外野手で入学後すぐにベンチ入りしたが、春のオープン戦で左足首靭帯を断裂。今まで大きな故障をしたことがなかったため、「長期離脱で気持ちが切れてしまった。野球から逃げてしまいました」と3年秋に退部。卒業後は野球を続けるつもりはなく、就職活動していた。そこでたまたま目に留まったのがこの軟式球団の募集要項だった。チームでは本職の外野だけでなく、3塁、投手も任せられ、公式戦で2度の完封勝利をマークしている。
外野手の近澤拓真も城島と同様に大きな挫折を味わった。野球留学した香川・尽誠学園では3年時に「1番・左翼」でレギュラーとして活躍。ところが、3年夏の大会前に発症した右肩痛の影響により、入学が決まっていた名門大に行くことが叶わなくなった。縁があった桐蔭横浜大に進学し、野球ができる環境になったが、右肩が思うように回復せず、徐々にやる気を失った。「自分が悪いのですが、毎日酒ばかり飲んでいました。練習も身が入らなかった」と、大学時代の公式戦出場は4年春のリーグ戦3試合のみ。3打数無安打に終わった。「もう野球はこれで引退しよう」と未練を断ち切ったつもりだったが、桐蔭横浜大のチームメートで「ゴリラクリニックベースボール」でも同僚になる加藤一生の誘いを受けてセレクションに参加した。右打者で鋭い打球を連発する姿に、今浪も思わずうなった。
「セレクションを見て選手たちの能力が想像以上に高いことに驚きました。近澤は名門大のレギュラークラスの身体能力でした。それと同時に、アマチュア時代に消えてしまった才能が多いことに気づかされましたね。野球を嫌いになったり、不完全燃焼のまま終わってほしくない。くすぶっていた人は爆発力がある。もう一度野球を楽しんでほしい」(今浪)
呼び名は「監督」ではなく「ナミさん」
今浪が名門校でドロップアウトした彼らの気持ちを推し量れるのは、自身も同様の経験をしたからだ。平安で甲子園に出場したが、明大進学後は3年までほとんど公式戦に出場していない。故障や理不尽な上下関係に耐えられず、練習に出なかったことも多かったという。しかし、「せっかく親にお金を出してもらっているのだし、学校くらいはしっかり卒業しよう」と気持ちを入れ替え、4年から勉強と練習に打ち込むと秋のリーグ戦で3割6分1厘をマークするなど遊撃のレギュラーとして活躍。2006年大学生・社会人ドラフト7巡目で日本ハムに入団した。
「4年の時には野球は大学で区切りをつけて、一般企業で働こうと思っていました。大学3年までの僕を知っている人間なら、プロでプレーするなんて僕を含めて誰も想像できないですよ。人生は環境次第で変わるんです」(今浪)