『なんとめでたいご臨終』の著者で在宅医療の第一人者の小笠原文雄さん
坂東:先生の著書を読むと、在宅医療をしている患者さんがみんな笑顔でいることに驚きます。
小笠原:重症心不全で人工呼吸器をつけたまま家に帰ったら、笑顔で元気になり、人工呼吸器を外してデイサービスに通っているかたもいますが、一方で病院に残った人は、人工呼吸器につながれて苦しい思いをして亡くなるケースも多いです。
坂東:これはコロナに限らずですが、高齢者が重症になったときにICU(集中治療室)に入って、人工呼吸器やエクモ(体外式膜型人工肺)をつけてまで頑張ることが本当に必要なのかと感じます。他人から「あの人、もう80才だから集中治療は必要ないわね」と言われると腹が立つけれど、その人の置かれた状況によっては自分から「私はもう充分生きたから、ICUや人工呼吸器は若い人に譲ってください」と医師に告げる選択肢があってもいいと思う。
人によって状況は違うでしょうが、どうすれば本人が幸せになれるかを第一に考えてほしいと思います。もちろん本当に重症で意識がないときは、難しい判断になるのでしょうが……。
小笠原:とても重要なご指摘で、本人がどんな最期を迎えたいのかを優先的に考えるべきです。80才でも山登りするような人なら人工呼吸器やエクモを使って、急場を凌いで治るかもしれませんが、コロナに限らず、間質性肺炎や劇症肺炎にしても、高齢で病弱な患者は回復が難しい。
治る可能性がある人には人工呼吸器をつけてもいいけど、治らない人にまで装着することはものすごく苦しいことなので、考え直すべきです。
坂東:そうですね。望みがない中で、生きるために苦しい期間を無理に長引かせる必要がはたしてあるのか……。
小笠原 ここで問題なのは、本人に意識がない場合、一度つけた人工呼吸器を外すかどうかや、今後どうしたらいいのかは、家族の判断になるということです。
坂東:家族は絶対に「外してくれ」とは言えませんよね。実は私の叔母はICUで120日生きて、その病院の最長記録を更新したんです。
そのとき家族としては、「最期まで最善を尽くしてください」と願うのみでした。あそこで「もう止めてください」と言ったら、私が叔母の死期を早めたという罪悪感に苛まれたはずです。いまにして思えば、そうした自分自身の責任から逃れたかった面もあったのではないかと、忸怩たる思いです。
小笠原:ぼくらからすると、そういう患者に病院で最善を尽くすということは、患者にとっては苦しい闘いが続くということが多いですね。残された者が罪悪感を持たないためにも、普段からできるだけ自分の最期について家族と話し合っておき、人工呼吸器を装着する前にも改めて、「おばちゃん、どうするの?」と確認できるといいですね。