新型コロナによって激動する時代に身を置いていると、誰もが目の前の事象の移り変わりについていくのに必死だ。しかし今、日本社会は大きな価値観の変動期にある。住宅ジャーナリストの榊淳司氏が、その変わりゆく社会の一断面を、人々の働き方や、その場所となる不動産の役割という視点から考える。
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少し前まで「働き方改革」というフレーズをよく聞いた。厚生労働省のサイトには、働き方改革について、
〈「非正規雇用の処遇改善」「賃金引上げと労働生産性向上」「長時間労働の是正」「柔軟な働き方がしやすい環境整備」など9つの分野について、具体的な方向性を示すための議論を行いました〉
などと書いてある。これを分かりやすく言い換えると、「少子高齢化で働き手が減少してきたので、これまでのような労働力の使い捨てはやめて、限られた労働者をもう少し効率的、かつ合理的に活用しようよ」ということになるのだろう。
さらに砕くと「ブラック企業はあかんよ。もうちょっと労働者を大事にせいよ」ということではないか。
「ホウレンソウ」を求める上司は無能
日本社会には「忖度」などという欧米言語に翻訳できない概念がある。例えば、上司が退社しない限り部下は仕事がなくても残業しているフリをする、というのは日本の職場では日常茶飯事に見られる忖度行動である。
この忖度によって若い社員は自由な時間を奪われ、企業は余計な残業代や光熱費の出費を強いられる。日本のホワイトカラーの生産性が先進国の中で著しく低いのは、こういう非合理的な労働環境が当たり前のように存在していることも一因である。
また、日本には「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」という一見それらしく思えるサラリーマンのビジネス慣行がある。冷静に考えればおかしなやり方である。
ホウレンソウは、上司があくまでも部下よりも有能で正しい判断を行えることを大前提としている。民主主義という統治システムが、有権者が常に賢明な判断を下すであろうことを前提としているのと、どこか似ている。
しかし、人間は常に間違いを犯す。上司が常に正しい判断を下すとは限らないことは、一度でもサラリーマンを経験した人間なら、誰でも分かるはずだ。
さらに言えば、常に部下からのホウレンソウを求めるような上司は、総じて小心で無能なことが多い。つまり、日本の企業社会のホウレンソウという習慣は、おバカな上司のためのシステムであって、職務の効率的な遂行に逆行しているケースが多い。
日本の企業社会は、こういった不合理な習慣が無数に存在していたのだ。そこにコロナがやってきた。