5月13日、桑田と大久保が初めて先発バッテリーを組んだヤクルト戦では3失点の完投負けだったが、その後5試合中4試合で、5回途中以下でKOされている。8試合目の7月15日の大洋戦でようやく初勝利を完投で飾ったが、後半戦の初戦は打ち込まれた。それでも、8月6日のヤクルト戦では完封、12日の広島戦では延長12回を196球の完投勝ちをしている。
1993年、桑田は開幕直後の2試合は大久保とバッテリーを組んだ。しかし、4月13日の中日戦は落合博満、中村武志、立浪和義にホームランを浴びて5回自責点4でノックアウト。21日の中日戦は8回自責点2だったが、2度の暴投がいずれも失点に繋がった。5回には無死一塁から大久保が後逸し、一塁ランナーの立浪が三塁まで進んだ。直後、種田がスリーバントスクイズを決め、この1点が大きく伸し掛かり、巨人は2対3で敗れた。同年、桑田の暴投5つのうち、2つはこの試合で生まれていた。結局、この日を最後に公式戦での2人のコンビは消滅した。
翌年のオープン戦では3月18日の日本ハム戦(水戸)でバッテリーを組み、桑田は5回2安打無失点に抑えている。しかし、開幕直前の3月31日の横浜戦(東京ドーム)で、桑田が5回表に1イニングだけ登板すると、34球で4安打3四球4失点と大崩れした。この年、2人が先発バッテリーを組むことはなかった。
公式戦では1993年4月21日を最後に、大久保が引退する1995年まで2人の先発バッテリーは一度もなかった。1992年から1993年にかけて先発コンビを組んだ14試合の成績は、防御率4.21で3勝9敗に終わっている。
デーブ大久保は2月11日のYouTubeチャンネルでも、桑田とのバッテリーが少なかったことに言及。
「(桑田は)コントールが良いから、本当にリードが試されるピッチャーなわけ。だから、村田さんの方が絶対良いわけ。リードは村田さんの方が全然俺より上だから。経験が違う。だからもう諦めた、最後は。最後は(1学年下だが)『桑田さん』と呼んでたもん(笑)。でも、アイツも威張らないんだよ、真澄も」と穏やかに話した。
謙虚な大久保だが、1994年にはJ.ジョーンズの先発時には1試合を除いて全てスタメンマスクを被り、7勝を挙げさせている。4月27日の来日初勝利の時には、ホームランで華を添え、長嶋監督も〈大久保のリードがよかった〉(1994年4月28日・読売新聞)と褒めている。8月16日の中日戦では7回裏に先制の8号ソロを放ち、ジョーンズ、橋本清、石毛博史の完封リレーを演出。最後はマスクを村田に譲ったが、1対0の勝利の立役者となった。また、西武との日本シリーズでも第3戦にジョーンズとバッテリーを組み、チームを勝利に導いた。
誰しも相性はある。大久保が移籍してきた1992年、1993年の桑田は全体的に不調だった。そんな巡り合わせもあっただろう。もしトレードが1年早ければ、違う結果が生まれた可能性もゼロではない。(文中敬称略)
■文/岡野誠:ライター、松木安太郎研究家。NEWSポストセブン掲載の〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉(2019年2月)が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。本人や関係者への取材、膨大な一次資料、視聴率などを用いて丹念な考察をした著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)が話題に。