物語は麻薬密売人に牛耳られた故郷を見限り、アカプルコの食堂から大阪の闇カジノへと流れた〈ルシア〉が、川崎で港湾倉庫とクラブの経営を任される〈土方興三〉と結ばれ、コシモを産む頃から書き起こされる。
が、暴排条例で食い詰めた父と、あれほど憎んだ薬に結局は溺れる母の下、コシモは言葉も満足に話せないまま体だけは成長し、13歳の時、その怪力ゆえに両親を死に至らしめてしまう。
一方バルミロは16世紀に征服者が上陸した因縁の地ベラクルス生まれ。後に〈心臓をえぐりだし、アステカの神に捧げる狂信者〉と恐れられるカサソラ4兄弟の3男として、アステカの神官の血を引く祖母に古の儀式や風習を聞かされて育つ。
表題もその一つ。かつて人々はその〈闇を映しだして支配する、煙を吐く鏡〉を神と崇め、人間の心臓や腕を生贄に捧げたという。
「ただし世界中どの文明もやっていることは変わらないし、そもそも文明は血塗られたもの。メキシコシティがアステカの都を埋めた上に築かれたように、人間の歴史も更地からバージョンアップできると思ったら大間違いで、どこまでいっても人は人なんです」
個人に働きかけられるのが小説
仇敵〈ドゴ・カルテル〉との抗争に敗れ、兄弟で唯一生き残ったバルミロがジャカルタに逃れた第2部以降、事態は急展開。彼はわけあって日本を追われた心臓血管外科医〈末永〉と出会い、川崎・東扇島に接岸する豪華客船を舞台に新たなビジネスに乗り出すのだ。
「今では資本主義が原理主義化し、その極北が臓器ビジネスだろうと。自分だけはまともなつもりでも無意識に取り込まれているのが資本主義というシステムで、神様が介在しない分、タチは悪いかもしれません」
そうした陥穽に光を当て、忘れたことさえ忘れている様々なことに気づかせてくれる本作は、読むにも書くにも当然ながら痛みを伴う。
「何度も悪夢に見ましたよ、麻薬組織がやる凄まじい暴力を。その背後にあるのも結局はカネで、例えば『死都ゴモラ』でマフィアを告発した作家のロベルト・サヴィアーノは命を狙われ今はアメリカにいる。
僕自身、『これから知るだろうことは、決して自分の気分をよくすることはないと腹を括ること』という彼の言葉をノートに記してから本書に取りかかった。なぜそうまでして書くかと言えば、遊び半分で買った薬の先に誰がいるかを知るだけでも力や変化に繋がると思うから。純文であれエンタメであれ、個人に働きかけられるのが、僕は小説だと思うので」
正視すら憚られる現実への悲しみ、そして怒りが、善も悪も無垢だけに映りやすいコシモという鏡を通じてあらゆる暴力からの解放を探る佐藤氏の原動力だ。
【プロフィール】
佐藤究(さとう・きわむ)/1977年福岡市生まれ。福岡大学附属大濠高校卒。2004年、佐藤憲胤名義の『サージウスの死神』が第47回群像新人文学賞優秀作に選ばれデビュー。が、発表機会は徐々に減り、2015年より乱歩賞応募を開始。翌年『QJKJQ』で晴れて第62回江戸川乱歩賞を受賞し、現筆名で再デビュー。2018年には受賞後第一作『Ank: a mirroring ape』で第20回大藪春彦賞と第39回吉川英治文学新人賞をW受賞した、エンタメ界注目の気鋭。176cm、71kg、B型。
構成/橋本紀子 撮影/国府田利光
※週刊ポスト2021年3月12日号