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2021.03.25 11:00  週刊ポスト

ホンダとセナの熱き時代 F1完全撤退で思い出すエンジン音とHマーク

1987年、日本GPで入賞した中嶋悟(時事通信フォト)

1987年、日本GPで入賞した中嶋悟(時事通信フォト)

 第1コーナーで勝負を仕掛けて抜き去ったセナに対し、プロストが激怒。記者会見をキャンセルし、ヘリコプターでサーキットを後にした。セナが謝罪する形で一度は和解となったが、プロストの不満が収まることはなく、シーズン途中で来季からフェラーリに移籍すると発表した。

 そして、同年の15戦日本GPで“事件”が起こった。日本GPを控え、プロストはセナに16ポイントリード。セナが逆転するためには鈴鹿と最終戦のオーストラリアGPで優勝するしかない。

 そんな緊張状態のなか、47周目のシケインでセナがプロストのインを突き、両者ともコースアウト。どちらもリタイアならタイトルが確定するプロストはマシンを降りたが、セナは諦めずにレースを再開した。1位でゴールしたものの、コース復帰時にシケインを通過しなかったことが違反行為と見做され、失格を宣告された。

 フジテレビのF1解説者で、レーシングカーデザイナーの森脇基恭氏が言う。

「ホンダは自分たちのエンジンの能力を最大限に引き出してくれるのが超一流のドライバーであることを理解していたし、セナやプロストもホンダの技術力と絶対に手を抜かないものづくり精神に敬意を持っていたことは間違いありません。

 しかし天才が2人そろえば関係が微妙になるのは当たり前のこと。マクラーレンの監督であるロン・デニスもそれは承知の上だったし、2人の関係がチームを引き締めた部分もあったと思います。超一流と切磋琢磨したことで、ホンダの技術力はより高まった」

 その後、フェラーリ、ウィリアムズへと移ったプロストは引退する1993年までセナの最大のライバルとして立ちはだかり、レースを盛り上げた。

 そして翌1994年、セナはサンマリノGPで事故死。ブラジルで行なわれた葬儀では、セナの棺を担ぐプロストの姿があった。2人が輝いた時代は、間違いなくF1とホンダの“黄金期”だった。

※週刊ポスト2021年4月2日号

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