さまぁ~ずと優香の司会でおなじみの『Qさま!!』。17年間続く正統派クイズ番組だ(写真提供/テレビ朝日)
なかでも、民放のクイズ番組の草分けが『アップダウンクイズ』。「10問正解して、さぁ夢のハワイへ行きましょう」と、JALパックでのハワイ旅行を賞品にして、人気を博した。
その当時から、視聴者参加型クイズ番組に出演し、14冠を獲得、後にクイズ作家になった道蔦岳史さんは、1983年の全国大会で優勝した戦略をこう話す。
「『アップダウンクイズ』の場合、1問間違うだけで下まで落ち、2問間違うと失格になってしまう。そのため、当時はお手つきをしないように30分間で50問中10問取れればいいと考えて、確実なものだけ答えました。それに、放送日やゲストにちなんだ問題に備えて、『今日は何の日事典』のような本で勉強したのも覚えています」
海外旅行が高嶺の花だった1970年代。海外旅行への近道だった視聴者参加型番組は、庶民の憧れの的となる。
しかし1980年代になると、海外ロケVTRを使った映像系クイズ番組が増える。この流れが進み、1985年頃を境に、視聴者参加型番組は減り、タレント型クイズ番組が主流になる。これが第3次ブームだ。その中で、人気を集めたのが『たけし・逸見の平成教育委員会』(フジテレビ系)だ。
「実在する小中学校の入試問題を大人が解くことで、『この人って頭がいい。偏差値が高い』と認識してもらえる方向性を生み出した最初の番組でした」(大門さん)
この番組で、驚異の正解率を連発し、元祖・芸能人クイズ王としてブレークしたのが辰巳琢郎(62才)だ。
「ぼくが出演したのは、放送開始から半年後。すでに優等生だったラサール石井さん(65才)と田中康夫さん(64才)の間に割って入って、準レギュラーとして名前が知られるようになりました。
ただ、高正解率を続けていると、ぼくの苦手な問題が多く出題されるようになった。そんな出題者との戦いも面白かったですね」(辰巳)
1989年頃から1994年頃にかけての第4次ブームは、クイズ王番組の全盛期。主に、『史上最強のクイズ王決定戦』(TBS系)や『FNS1億2、000万人のクイズ王決定戦!』(フジテレビ系)が人気を得た。
「それとともに、『アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系)も年々スケールアップ。なかでも名作とされる第12・13・14回などのヒット作が、この時期に生まれました」(大門さん)
おバカブームから超エリートが競う番組へ
こうしたハイレベルな知的バトルがしのぎを削る中、『クイズ!ヘキサゴン』シリーズ(フジテレビ系)の登場により、“おバカブーム”が到来。これが第5次ブームとなる。同番組のクイズ作家をしていた道蔦さんは、当時をこう述懐する。
「『クイズ!ヘキサゴンII』でチーム対抗戦を行うようになると、おバカタレントが誤答を連発。これがお茶の間でウケたんです。瞬発力で思いもよらない答えをする、優秀な“おバカタレント”を集めたのが、カギでしたね」