マサカリ投法で通算215勝を挙げたロッテの村田兆治氏(写真/共同通信社)
「清原は『外角寄りのシンカーを打った』とコメントしました。山田さんの代名詞でもあり、“魔球”と呼ばれたシンカーを高卒ルーキーがホームランしたのかと、報道陣がざわめいた。
試合後に、記者たちに囲まれた山田さんが、『あれは真っすぐや。あれをシンカーと言うようじゃ、まだ本物とは言えないな』と反論した。コメントでも大ベテランをそこまでムキにさせた18歳に鳥肌が立ちました」(前出・スポーツ紙編集委員)
山田氏は清原の印象をこう語る。
「彼は対戦するたびに進化していった。インコースの速い球が苦手という穴はあったけど、プロの投手のスピードや変化球への対応はものすごく早かった」
ファン投票で選出されたオールスター第2戦(7月20日・大阪球場)では、大洋のエース・遠藤一彦からホームランを放ち、最優秀選手に選ばれた。
プロ野球全盛の時代、並み居る花形選手を押しのけて大舞台で結果を残した清原を、誰もが時代のスターと認めることとなった。
生意気だった
清原は9月には3番を任された。9月27日の近鉄戦では初回に28号を放ち、西鉄の豊田泰光が持つ高卒ルーキー記録を更新。8回にも本塁打を打って長嶋茂雄の1年目の29本塁打に並んだ。
「4番、ファースト、清原」。10月7日のロッテ戦では、プロ入り初の4番を告げるアナウンスが川崎球場に鳴り響いた。
「近鉄との熾烈なV争いが続く中、大役を任された清原は左翼席最上段に突き刺さる31号本塁打を放ち、大洋・桑田武の持つ新人最多本塁打記録に並びました。これで勢いのついた西武は2日後、129試合目にして近鉄を振り切り、2年連続のリーグ優勝を決めた」(前出・スポーツ紙編集委員)
10月10日、本拠地でのリーグ最終戦では、サヨナラ安打を含む5打数3安打の大暴れ。森監督は「こういう星の下に生まれてるんやな」と大絶賛した。
打率3割4厘、ホームラン31本、打点78という堂々たる成績はいずれも高卒の新人記録を更新し、19歳のルーキーが牽引したチームは日本シリーズで広島を破って日本一に輝いた。