五輪内定直後のインタビューで、池江選手は《努力は必ず報われる》と声を震わせてコメントした。だが実際は、「努力」の二文字では言い表せない壮絶な日々を送っていた。
白血病の治療は心身ともに大きな苦痛を伴う。池江選手も苦痛の連続だった。
「抗がん剤の治療が始まると、髪の毛が抜け落ちていくことに大きなショックを受けたようです。10代の女の子ですから、当然です。副作用の吐き気にも悩まされて、1日に5回以上もどしてしまうこともあった。食欲もなく、栄養を点滴で摂取するのが精一杯という日もあったようです」(スポーツジャーナリスト)
当時の様子を、池江選手はのちにテレビ番組で《死んだ方がいいんじゃないかって思っちゃったときもありました》と明かしたほどだ。池江選手を支えたのは、友人や競泳関係者、ファンの人たちからの励ましの声だったという。
なかでもいちばん近くで彼女を支えたのは、母・美由紀さんだった。幼児教育の会社の代表をしている美由紀さんは、とにかく認めて、褒めて、愛して育てるのが教育方針。幼少の頃から池江選手にはポジティブな言葉をかけ続けてきた。
「愛娘が病魔に侵され、冷静ではいられないほどつらいはずなのに、それを微塵も感じさせませんでした。お母さんは講演活動などをすべてキャンセルし、毎日のように大きなキャリーケースを引いて、入院中の池江さんのもとへ通っていました。午前中に家を出て、病院を出るのは21時過ぎということも珍しくはなかった。
池江さんが小さい頃から、お母さんはいつも『できるよ』と声をかけて自信を持たせていました。闘病中もこの言葉が、池江さんの支えになっていたようです」(競泳関係者)