感染対策を徹底して稽古に励む鴻上氏(サードステージ提供)
欧州が多様性社会で学んだ作法
先に多様化に舵を切った欧州では、人々の心の中を問い続けたら100年経っても終わらないから、そうではなく、いま一緒に働くためにはどうすればいいのかと考えた。そこで心の奥底の差別感情は問わずに、態度や言葉にして表さないことこそが大事なんだということを学んだのです。
ところが、日本は心の中と言動が一致することをよしとする。そこを突き詰めていくと、真面目な人ほど「私は差別心をもっているひどい人間だ」と悩むことになるのです。
日本人には「寄付すると偽善者だと思われる」という考えがあります。寄付する行動そのものより、心の中を問題にしてしまっている。偽善の心で寄付をしてはいけないのなら、それによって助かる人を見捨てるのかということになるのですが。
だから、売名行為であろうが、偽善であろうが、寄付する行動と心の中は切り分けないといけない。日本人はこれが苦手なのです。真面目な人ほど「偽善と思われたどうしよう」と思って行動できなくなってしまいます。
昔は価値観が均質化されていたから、「面従腹背」なんて言葉がありましたが、僕の言っていることは、この言葉とは何の関係もありません。これほどまでに多様化した世界で皆が何とかうまくやっていこうとするときには、「心の中と言動が一致していなくていい」と考えることが大事です。これから日本人がラクになるためには獲得しなければいけない作法であり、スキルといってもいいでしょう。
「俺はあの人嫌いだよ、でも一緒に仕事するよ」とラクに思えるかどうか。ビジネスパーソンの切れ者はみんなそうしていると思います。優秀な人は、人としての好き嫌いを問題にしないで仕事の能力・スキルを見ている。嫌いな人の仕事を全て認められなくなってしまうのは、ビジネスをする上ではマズいでしょう。