57年前の東京五輪は、10月10日からの15日間、93の国と地域から5133人が参加して開催された(20競技163種目。写真は東京五輪音頭のジャケット)
新幹線や首都高、ホテルが次々と完成
前年に発売された三波春夫がと歌う『東京五輪音頭』は、まさに復興の槌音を思わせる。そんな流行歌が巷に流れる中、東海道新幹線や東京モノレール、地下鉄日比谷線、首都高速道路などの交通網が次々開通。東京の都市機能が飛躍的に発展したのもこの年だ。
現在、人気ブランド店が並び、裏原宿と呼ばれ、若者で賑わうキャットストリートもこの年に変貌した場所の1つ。
「もともと、ここは新宿御苑を源流に、明治神宮の湧き水などが加わって流れる渋谷川でした。暗渠化して川を下水道にしたことで生まれたスペースは、当初、明治通りのバイパスにするかどうか、その利用方法について商店会でも侃侃諤諤の議論がありました」
そう語るのは、当時、ここで洋品店を営んでいた佐藤銀重さん(88才)。
「昔からこの一帯は、代々木が原と呼ばれ、大正時代、皇室御料地に明治神宮が建立されるまで何もなかった。そこに陸軍の練兵場が作られ、敗戦後は、進駐軍に接収されてワシントンハイツ(在日アメリカ軍の居住用宿舎)になり、1964年の東京五輪で選手村にするために返還され、その後、代々木公園になったのです。私の子供の頃は、渋谷川で魚釣りもできて、水車が回るのどかな場所だったのです。
でも、暗渠になる直前の渋谷川は、ゴミが捨てられ、生活排水も垂れ流しで、ふたをして舗装されたら、公衆衛生のマナーやエチケットも格段に向上しましたね」(佐藤さん)
1964年には、ホテルニューオータニや東京プリンスホテルなどの大型ホテルや、紀伊國屋ホールなどの文化ホールも誕生。丹下健三設計の代々木体育館など、名建築の五輪施設も完成。東京の中心から原っぱが消え、高度経済成長への足がかりができた年でもあった。
取材・文/北武司
※女性セブン2021年6月10日号