もしドラマに「エンゲージメント」という指標があるなら、間違いなくこの作品は高い数字を記録するだろう。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が考察した。
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『大豆田とわ子と三人の元夫』(フジテレビ系火曜午後9時)は、記事で紹介するにはなかなかやっかいなドラマです。さらっと概要を書くのも難しい。なぜなら、脚本を書いている坂元裕二氏が語るように、独特のセリフで形作られたドラマ世界だから。
「日常のダイアログはできるだけ本当のことを言わない、気持ちを届けようとしない、核心には触れない、周辺のことばっかり喋っている」(『脚本家 坂元裕二』)。これ、日本で放送されている一般的なテレビドラマのセリフとはまるで正反対ではないでしょうか?
しかし、このドラマは退屈さをみじんも感じさせないのだから不思議です。登場人物が想いを直接語らず「迷彩でカムフラージュされた曖昧な状態」(坂元氏)が続く中で、小さなきっかけ・モノから決定的な想いが流れ出す瞬間がある。「えっ、この人こんなことを感じていたの」という発見の瞬間もこのドラマの醍醐味です。
主な登場人物は……3度の離婚歴がある住宅建築会社社長・大豆田とわ子(松たか子)と、離婚した元夫の3人--レストランオーナーでモテ男の田中八作(松田龍平)、ファッションカメラマンで器の小さい佐藤鹿太郎(角田晃広)、大豆田の会社の顧問弁護士で理屈っぽい中村慎森(岡田将生)。
それぞれ仕事もキャラクターも違い、好みも生き方も少しずつ異なる。個々人で気になるポイントもこだわりも微妙にズレる。そうした人々が交差する場がカフェやリビングの空間。派手なストーリーもドンデン返しも予定調和もない。しかし、考えてみれば日常とは断片と断片をつなぎ合わせたり編み上げたりしてでき上がっているものです。
では、ドラマの軸となる主人公・とわ子はどんな人物なのでしょうか? とわ子は目の前に発生する出来事に一つ一つきちんと反応しながら生きていて、伊藤沙莉さんのナレーションがとわ子の心情やシチュエーションを部分的に説明してくれます。その分、とわ子が感情を語ったり外に強く出すようなドラスティックなシーンはなく、「この人を愛してる」とか「私はこう生きたいんだ」といった明解な主張も見えない。
自分を語らない--主人公の感情が直接的に「描かれない」という点こそ、このドラマの特徴と言ってもいいでしょう。
一方、3人の元夫たちはそれぞれ誰かを求めて拒絶されたり、心が揺れたり、何かに依存したりしている。
とわ子を軸に、その周囲で右往左往する3人の元夫の対比が鮮やかです。ふと、「都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である」という批評家ロラン・バルトの言葉を思い出しました。バルトは東京を訪ね皇居の森を見てこう言いましたが、さしづめこのドラマも「中空の構造」と言えるでしょう。『大豆田とわ子と三人の元夫』という不思議なタイトルも、とわ子という中軸に3人の団子三兄弟が貫かれている様子を想像させます。