原巨人の「内閣改造」は奏功するのか(時事)
V9が始まった1965年に入団し、後に“史上最高の五番打者”と呼ばれた末次利光(当時・民夫)氏は、ルーキーイヤーの終盤にわざわざ荒川氏の自宅の近所に引っ越し、荒川道場に“志願入門”した。末次氏が言う。
「最初はON(王貞治、長嶋茂雄)の後ろを打ちたいなんて大それたことを考えていたわけではなく、川上さんがONの後の5番を打たせるために他球団からどんどん大物選手を補強してくるので、“まともにやっていてはレギュラーになれない”と思って、荒川さんの家の近くに住むことにしました。とにかく、なんでも吸収したいという思いでしたね。近所なので、とにかく朝に晩にとスイング指導を受けました。王さんや榎本さんというお手本がいたのも大きかった」
現在の球界を見渡しても、そこまで強固に結ばれたコーチと選手の師弟関係は見当たらない。末次氏はこう言う。
「今の時代に荒川道場がないのは仕方のないことでしょう。打撃理論について、様々な情報に触れられる時代ですからね。昔と同じような厳しい指導をしたらパワハラと言われかねないし、なかなか指導が難しくなっていると思います。ただ、これだけ様々な新しい打撃理論の情報を目にする時代になっても、僕は“荒川道場を卒業できた”と思ったことは一度もありません。それくらい、荒川さんが追い求めた野球理論は奥深いものでした」