徳川慶喜はどんな人だった?(写真=akg-images/AFLO)
さらに慶喜は民衆の生活や感情にも無頓着だった。
幕末、人々の生活は苦しかった。実際は幕府による貨幣改悪が大きな原因だったのだが、外国との交易によって物価高になり、自分たちの生活が苦しくなっていると信じていた。そのため攘夷感情が強かった。
そんな時期に、慶喜はナポレオン3世から贈られたとされる軍服を着たり、洋装でアラビア馬にまたがったりして写真に収まっていた(慶応年間)。その頃、スプーンで食事をし、西洋人女性を昼夜侍らせていると京都市中で噂になった。誰の目にも慶喜は欧米好きと映り、“征夷しない大将軍”の姿は民衆の反感を買った。幕府と戦った薩長は常に民衆の動向を注視し、施し米を行なうなど民心の収攬に努めたが、慶喜の行動でそんな痕跡は見つからない。
「家康の再来」とまで言われ、日本史上に残る歴史的大変革を実現した英雄として後世に語られるはずが、「臆病者」と揶揄され敵役として不人気であり続けた慶喜。それは彼が抱えていた強さと表裏一体の弱さのためだった。独断で重要な決断を下すことができる強さと、臣下や民衆への配慮を欠く弱さ。それゆえに最後に敗れたのである。
【プロフィール】
家近良樹(いえちか・よしき)/1950年大分県生まれ。歴史学者(専門は幕末史を中心とした日本近代政治史)。『徳川慶喜』(吉川弘文館)、『その後の慶喜』(ちくま文庫)、『西郷隆盛 維新150年目の真実』(NHK出版新書)、『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』(ミネルヴァ書房)など著書多数。
※週刊ポスト2021年6月18・25日号