林一家が住んでいた自宅の事件直後(共同通信社)
和歌山県警が実父の元へ
心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。
「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者)
父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。
「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」
近隣住民が当時を思い出しながら続ける。
「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」
現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。
「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者)
事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。
※女性セブン2021年7月1・8日号
林一家が住んでいた自宅の現在。いまは自治会が所有している