飛び降り現場となった関空連絡橋では、6月14日にも同様の飛び降りが発生した(共同通信社)
「アパレル関係の仕事を選び、若いながらに活躍していたようで、この頃は金銭的にも余裕があったと思います。眞須美死刑囚にはたびたび手紙を書き、妹や弟にはこまめにプレゼントや小遣いをあげていました。離れていても、なによりも家族のことが大事だったのでしょう」(前出・林家を知る人物)
仕事は転々としていたようだが、
《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》
健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。
犯罪者の娘
久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。
「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物)
1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。
「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト)
ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。
「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」
一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。
「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト)
そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。
「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)