外務省がまとめた辻政信の行動記録(外交史料館所蔵、前田啓介氏提供)
「外交史料館には、辻が訪れたタイやラオスなど各国の日本大使館職員が、本省とやり取りをした公電などを集めた『本邦人失踪及び変死関係 在アジア、大洋州地域 辻政信参議院議員関係』という3巻綴りの文書群が残されています。これらの公文書は、辻政信が失踪した当時はもちろん公開されておらず、捜索の過程は明らかになっていませんでした。妻の千歳夫人も当時、雑誌の取材に答えて、『外務省はあまり動いてくれていない。ほとんどアテになりません』と語っていました。しかし、現職の国会議員でもある辻の失踪の問題は、国会などでも何度も取り沙汰され、外務省や大使館関係者が水面下で独自に捜索を続けていたことが記録されています。そこには、たしかにラオスやベトナムの首脳らと接触すべく奔走していた辻の姿が残されていました」
この辻関係文書の中には、たとえば当時ラオスの首相でもあったプーマ殿下から受け取った次のような文書もあったという。
〈自分は辻議員に面会したことはない。同議員は[失踪した1961年]6月にバンビエン[首都ビエンチャンの郊外]にいたがその後どこへ行ったか判らぬ〉
もともと辻の渡航目的は、当時内戦下にあったラオスの中立化とベトナム戦争の回避だったともいわれていたが、外交文書の中で実際にそのための行動をしていた辻の姿が確認されたことの意味は大きい。
さらに、辻はラオスかベトナム国内で中国共産党過激派に拉致され、雲南省内に連れて行かれたらしいという情報も飛び交っていた。当時、外務省および日本大使館は、こうした情報があることも把握・分析していた。前出・前田氏はいう。