昭和の面影が残る商店街で育った女将が、実家の酒屋を継いだのが二十歳のとき。
「戦前は居酒屋をしていて、祖母も母も着物着て店に立っていました。酒屋と角打ちをはじめたのが昭和18年。二十歳で結婚して主人が酒屋を継いでくれて、私は角打ちで店に立つようになって50年かそこら。昔は工場勤務の夜勤明けのお客さんが多く来はって。長い間、地元の皆さんのおかげでなんとかやってますよ」(幸子さん)
「お義母さんは生まれ育ったこの場所で、地元密着の店を繁盛させてきた働き者。プロフェッショナルやって思いますね。角打ちは女ふたりやから、お客さんに助けていただくことも多いんですよ。お客さんが重いもの持ってくれはったり、掃除も手伝ってもらったりね、ほんま感謝してます。
6時ごろからガラッとお客さんが変わってサラリーマンが多く来てくださって注文さばくので手一杯。お義母さんも私もゆっくり話しできませんよ(笑い)。夕方は皆さんのんびり飲んではって穏やかなひとときですね」(由希さん)
4時から組の宴が終盤戦にさしかかった宵の口、暖簾をくぐる常連さんがまたひとり。
「いわし頂戴! わし、入れ歯やから、この煮魚やわらかくてちょうどええねん。今日も旨いのぉ」(70代)と、ご満悦。
「この人は食が細いからいわしは1尾やねん。私も乾杯しようかなぁ」と、女将がにっこり笑う。
この店で、和気藹々と仲間が飲んでいるのは焼酎ハイボール。
「スッキリとした辛口がええなぁ」
(2021年4月8日取材)