東京は銀座、数寄屋橋交差点に面した東急プラザ銀座。この近代的なビルのワンフロアに、「体験できる学習図鑑」が出現した。その名も「ZUKAN MUSEUM GINZA」だ。7月16日の開業からわずか3日間で来場者数3000人、10日間で1万人突破を記録し、夏休み前後から、親子連れで盛況となっている。
入場すると、こんなメッセージが響く。
「無限に広がるかのような広大な宇宙。その片隅で、生命をもつ星が誕生しました。地球と呼ばれるその星では、(中略)いまからおよそ20万年前、ヒトが出現しました。彼らはやがて、他の種とはまったく異なる行動を始めます。『生き物の記録』です」──
自分たちと異なる生き物を探し出し、観察し、記録する。そう、このヒトならではの行為を形にしたものこそ、私たちがよく知る「図鑑」だ。ここ「ZUKAN MUSEUM GINZA」では、こうした図鑑のすべてを体験できる。手渡される「記録の石)」という端末を頼りに、図鑑の中に迷い込み、探し出し、観察し、自分の手で記録するのだ。いまも昔も、子供たちを夢中にしてやまない図鑑。このミュージアムは、その最も新しい形だといえるだろう。
教科書の補助教材から子供のための“劇画”に進化
図鑑マニアとしても知られる、千葉県立中央博物館分館海の博物館分館長の斎木健一さんによれば、図鑑の定義は厳密には定められていない。
「個人的には、写真や絵などの図があり、名前と説明がある。そしてある程度の種類が掲載されている本を、図鑑だと考えています」
わかりやすい図と、事実に基づく解説が入った書物なら、なんでも「図鑑」といえるということだ。
歴史を振り返ると、日本人は大の図鑑好きだった。江戸時代には、本草(薬用になる動物・植物・鉱物の総称)研究が盛んになり、1763年には、早くも図鑑の体裁をもった書籍が出版されている。江戸中期の発明家で博物学者の平賀源内による博物学書『物類品隲』などがその1つだ。日本は、世界でもまれな図鑑大国。中でも特に多い「子供向け図鑑」は、どのようにして生まれたのだろうか。
「明治の頃、欧米から動植物学の教育方法が輸入されたときに、日本では“実物をじっくり観察することが、生物学の基本”という考え方が根づき、昭和の中頃まで受け継がれてきました。その証拠に、当時の生物の教科書は非常に図鑑的です」(斎木さん・以下同)