昭和の宰相には独特のキャラクターにちなんだ愛称がよく付けられた。吉田茂は「ワンマン」、田中角栄は「今太閤」、そのライバルだった福田赳夫は「黄門」と呼ばれた。そのなかにあって、大平正芳は「鈍牛」。あまり良くないニックネームにも感じるが、政界きっての知性派として知られ、「哲人政治家」とも呼ばれた。発言には常に慎重で、記者会見では「あー、うー」と考え込む姿が記憶に残る。一見すると愚鈍にも見え、しかし口をつく言葉には深い思慮と哲学が込められていたことから、鈍牛の呼び名も尊敬を込めたイジリだった。自らCMに出演したり、モノマネのネタにされたりと、国民からも愛される存在だった。
大平は1978年に総理大臣となるが、角福戦争の後遺症で自民党内は四十日抗争と呼ばれる内紛に見舞われ、1980年には非主流派の裏切りで内閣不信任案が可決、大平は世に言う「ハプニング解散」に打って出た。そして選挙戦さなかに倒れ、そのまま亡くなってしまった。享年70。後日談になるが、その弔い合戦となった衆参同日選挙は挙党態勢を取り戻した自民党が圧勝し、その後の安定政権期の礎となった。大平が掲げた消費税構想や環太平洋連帯構想は後に実現し、その時代感覚は死してさらに注目されることとなった。
『週刊ポスト』(8月6日発売号)では、昭和の偉人の「最期の言葉」を特集し、そこで大平の孫でメディアプロデューサーの渡邊満子さんが祖父の思い出を語っている。政治の日常でも節目でも、書物に学び、触れて生きた姿が明かされるが、本誌で紹介できなかった「哲人」の先見の明について、改めて渡邊さんの言葉を紹介しよう。
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祖父は長いスパンで政治を考える人でした。これは田中均さん(元外務審議官)に聞いたことですが、訪米した際に、ブレアハウス(アメリカ政府の迎賓館)で「若い職員を集めて」と指示すると、「戦後どれだけアメリカの世話になったか忘れないでほしい」と伝えたそうです(※大平は日米貿易摩擦の時代に厳しい交渉の場を経験していた)。
一方、対中国では1972年の日中国交正常化に携わったわけですが、その交渉から帰国する機内で、「今は日中友好ムードでお祭り騒ぎだが、30年後40年後に中国が経済成長を果たした時には必ず難しい問題が起きるだろうな」とつぶやいたそうです。これは秘書をしていた父(森田一・元運輸相)が聞いた言葉です。
そんな祖父が大事にしていた言葉のひとつが「永遠の今」です。若い頃から愛読した哲学者、田辺元の考え方で、それを自らの政治信条に当てはめていました。『在素知贅 大平正芳発言集』にこんなことが書かれています。
<戦時中に愛読した田辺元先生の哲学書の中に「時間というものは今しかないのである。過去や未来は現在に働く力であって、時というものには現在しかない」という意味のお言葉があった。近時、「保守の危機」ということがいわれるが、「過去を捨象すると革命になり、未来を捨象すると反動になる」というのが田辺哲学の教えているところだと思う。現在は、未来と過去の緊張したバランスの中にあって、革命であっても困るし、反動であってもいけない。未来と過去が緊張したバランスの中にあるように努めていくのが、「健全な保守」というものではないであろうか。私は保守主義をこのように考えている>