事故の後、柏木さんには講演会の依頼が次々と来た。人前で話すなんて無理と思っていた柏木さんだが、チャレンジしてみよう、家計の足しにもなるかもしれないと始め、九さんとの思い出や事故のこと、その後の状況など伝えていく活動をずっと続けている。
そして、坂本九さんの生誕80周年になる今年、柏木さんは著書『星を見上げて歩き続けて』(光文社刊)を出版した。
「震災や自然災害があったり、新型コロナウィルスの影響で、たいへん辛い思いをしている方がたくさんいらっしゃいます。私自身、事故の後、『時が悲しみを解決する』となぐさめられても、そんな気持ちになれませんでした。家族を突然失うという、どん底の経験をした私だからこそ、勇気をもってほしい、時間はかかってもいつか笑える日がまた来る、だから今を大切に生きてほしい、とお伝えしたいと思いました」
実は、そんな柏木さんの思いを後押ししてくれた人がいる。
「黒柳徹子さんの舞台を観に行って、竹内まりやさんにお会いした時、『バラの季節にぜひいらしてください』とお誘いして、我が家にいらしていただいたんです。まりやさんは子どもの頃から主人をリスペクトしてくださっていたそうで、坂本九のことや、バラやファッション、犬、家のリフォーム・・・・・・いろんなお話をしました。そうしたら「絶対、本を出した方がいいと思う」って。『本を出した時には私が帯を書くわよ』とまで言ってくださったんです」
そんな言葉も支えになって、この区切りの年に出版することが実現化したという。
< 由紀子さんの笑顔の向こうには、底知れぬ悲しみを乗り越えた人だけが持つ本当の強さと優しさがあった。竹内まりや >
と書かれた表紙の帯。
「まりやさんは、歌詞と違って短い言葉でまとめるのは難しかった、とおっしゃっていましたけど、ほんとうにもうさすがですよね。これだけの文字数で全てが伝わって心が掴まれます」
また、九さんとはテレビ番組などで共演も多かった黒柳徹子が、柏木さんとの対談という形で同著に登場する。黒柳は、事故の直後からずっと心配して一緒に悲しんでくれて、柏木さんがこらえきれない時には夜中に電話して話を聞いてもらったこともあるという。
「今回、黒柳さんとはZoomのオンラインで対談させていただきましたが、記憶力がすごいんですよ。『あの時こういう話したじゃない?』なんて昔のことを詳しく覚えていらして。88才になられたんですよね。私より年上なのにお元気かつポジティブで、ほんとうに尊敬します」
事故の翌年に出版された一作目の自著『上を向いて歩こう』も読み返した柏木さん。当時は茫然自失の中でふりしぼって書いた感じだったという。
「36年も経つと、私は忘れてきていることもあって、幸せだった日々のことも含めて『残しておきたい』という気持ちがあったんですよね。そして、こうやって前へ進んでこられたこれまでを思い出しながら、ちょっとだけ客観的に心がけて書いてみました」
柏木さんにとって、8月12日を迎えるのは「またこの日が来る・・・」という気持ちだという。
「それでも、花子と舞子も結婚してそれぞれ長男が生まれて、みんなでお墓参りに行ったり。どちらの家族も私の家からも近い場所に住んでいるので、孫に恵まれて賑やかになりました。平和で幸せな日々が送れています。
つらいことを抱えていらっしゃる方が、すぐには前向きな気持ちになれないと思います。そんな時には無理をせず、泣きたいときに泣いて、人にすがって話を聞いてもらったり。そして、時間が少しずつ悲しみを取り去って、やがていつかきっと私のように、必ず乗り越えられる時が来ると思いますよ」
柏木さんは、73才とは思えない若々しい肌と髪にピンと背筋の伸びた姿勢で、優雅にそう微笑んだ。