黒柳徹子一覧

【黒柳徹子】に関するニュースを集めたページです。

黒柳徹子と20年交際秘話
黒柳徹子、さだまさしと突然“共演NG”の謎 さだの鋭いジョークが原因か
「最後の共演から5年半以上が経っていて、今後も共演の予定がないと聞いています。あれだけ蜜月だった黒柳さんとの間に何があったのか? トラブルさえ疑われています」(テレビ局関係者) テレビ放送の草創期から現在まで表舞台に立ち続ける黒柳徹子(88才)に、最近、いわゆる“共演NG”の相手が増えているという。自ら「NG認定されている」と暴露したのが、有吉弘行(48才)だ。5月15日放送の『有吉ぃぃeeeee!そうだ!今からお前んチでゲームしない?』(テレビ東京系)で、過去に黒柳に「クソババァ」とあだ名をつけて以来、共演NGにされていると明かしたのだ。 さらに、フワちゃん(28才)も2020年に『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した際、会話がまったく噛み合わず、黒柳から「もう来なくていい」と宣告され、その後、テレビ番組を含めメディアで同席したことは一切ない。 しかし、冒頭のテレビ局関係者が口にしたのは彼らのことではない。その相手もまた、芸能活動歴の長い大御所だ。「さだまさしさん(70才)です。黒柳さんとは2017年、永六輔さん(享年83)の一周忌イベントで顔を合わせたのを最後に、一緒にお仕事をしていません。テレビでの共演は前年の2016年が最後です。それまでさださんは『徹子の部屋』の常連だったのに、急に出演がなくなってしまいました」(前出・テレビ局関係者) さだはこれまで『徹子の部屋』に14回も出演し、黒柳の“盟友”として知られてきた。本来、同番組は黒柳がMCを務めるトーク番組だが、さだがMCを担当して黒柳をゲストに迎える『まさしの部屋』なる特別企画が放送されたことがある。それも一度きりではなく3度も。 また、2006年と2015年には、『徹子の部屋コンサート』が開催されたのだが、黒柳が司会を務め、さだは主要メンバーとしてステージに立った。2011年には東日本大震災の被災者を支援するイベントでも共演している。 共通の友人も多い。永さんはその代表格だ。2016年11月、さだは永さんが作詞した曲をカバーしたアルバム『永縁~さだまさし 永六輔を歌う~』を発売した。このときも黒柳は朗読で参加した。それほどの蜜月ゆえ、突然、共演がなくなったことに違和感を覚える関係者は少なくない。前出のテレビ局関係者が声を潜める。「テレビでの最後の共演は2016年12月5日に放送された『徹子の部屋』。さださんが出演し、3回目となる『まさしの部屋』が放送されたのですが、この内容に問題があった可能性があります。さださんが黒柳さんに、永さんや作曲家の中村八大さん(享年61)との“男女の仲”について質問したのです。気心の知れたさださんだから聞けたことで、黒柳さんも笑っていました。 これまでも、さださんの鋭い“ジョーク”がウリの『まさしの部屋』でしたから、いつも通りの光景に見えました。ただこのときは何かが違っていたようです」 ちょうどその年に、黒柳はブレーンとしてある男性を迎え入れていた。「ビーズの貴公子」こと、田川啓二さん(63才)だ。「オートクチュールを手がけるビーズデザイナーです。父も兄もデザイナーという芸術一家に生まれ育ち、2002年に『徹子の部屋』に出演しています。その共演をきっかけに、田川さんは黒柳さんの衣装を手がけるようになり、全国の老舗百貨店で一緒に作品展を開催するほどの深い関係になりました」(芸能関係者) そして2016年4月、田川さんは突如、黒柳の事務所の代表取締役に就任。さだとの最後の共演の8か月前のことだ。以降、田川さんは黒柳の仕事現場への同行から出演交渉、キャスティングにもかかわるようになったという。「田川さんが黒柳さんの事務所の代表になって以降、黒柳さんはインスタグラムを始めたり、若い読者層を持つファッション雑誌に出るようになりましたが、それも田川さんのアイディアだったようです。彼は番組収録にも付き添い、黒柳さんの専属プロデューサーとして抜群のセンスを発揮していったのです。 だからこそ、さださんの“発言”が引っかかったのかもしれません。さださんは最後の『まさしの部屋』で、先の質問以外に“黒柳徹子保存会”を立ち上げて、自分がその初代会長だと口にしたんです。田川さんも撮影現場で聞いていたはず。これが“共演NG”のきっかけだったのでは?と分析する人もいるようなんです」(前出・芸能関係者) 田川さんは2018年8月、黒柳の事務所の代表を信頼する友人に任せ、代わりに自身は「一般財団法人黒柳徹子記念財団」を設立し、その代表理事に就任した。黒柳は着物、食器、工芸品など多くの美術的価値のあるコレクションを持つ。それらを後世に残すために財団を設立し、「黒柳徹子美術館」を建設する意向を田川さんは当初から示していたという。 美術館の建設となれば、それなりの建設費が必要になる。黒柳は財団の設立前年、東京・港区に所有していたマンション2戸を売却。2004年にも中央区のマンション1戸を手放しており、3戸の売買価格は約6億円ともいわれている。「おそらく田川さんが社長に就任した当初から、不動産の売却や財団の設立などの計画を描いていたのでしょう。さださんが話した“黒柳徹子保存会”は、その計画外のもので、田川さんにとっては寝耳に水だったはず。“保存会”は実態があるのか定かではなく、冗談半分のようにも思えますが、田川さんはじめ黒柳さんの周囲の人たちにとっては冗談には聞こえなかったのかもしれません」(前出・芸能関係者) 財団設立と美術館は黒柳と田川さんにとっては悲願のようで、苦労しながら大事に育てている計画のようだ。実際、今年5月5日に配信された黒柳のYouTubeチャンネルで、田川さんは美術館計画について黒柳とファンにこう報告した。「ちょっと前進しました。“いつぐらいまでにはできるんじゃないか”というところまでは来ている。でもまだ皆さんにはお伝えできない」 2002年の共演から今年で20年を数える黒柳と田川さんの関係は、ますます強固になっているように見える。「美術館など黒柳さんの功績を残していく動きとともに“生前整理”が進んでいるように見えます。そんな中、黒柳さん本人というより周囲のかたの意向もあって共演者も選ぶようになっているのかもしれません。ただ、黒柳さんとさださんとのかけ合いは2人のあうんの呼吸で成り立っていました。今後見られないのはあまりに惜しいですね」(前出・芸能関係者) 共演NGは黒柳の晩節を汚さないための苦肉の策なのか、それとも……。※女性セブン2022年7月7・14日号
2022.06.25 07:00
女性セブン
黒柳徹子のユニセフ視察同行の田沼武能さん 盟友も解明できなかった“汗の謎”
黒柳徹子のユニセフ視察同行の田沼武能さん 盟友も解明できなかった“汗の謎”
 ユニセフ(国連児童基金)の親善大使を務める黒柳徹子(88才)がこれまでに訪れた国は延べ40か国近くに上る。干ばつや貧困に苦しむアフリカの国や、大量の地雷が埋められた紛争地域、無政府状態が続く破綻国家──危険を顧みず、子供たちに寄り添う活動を続ける黒柳には心強い“同志”がいた。 6月1日に亡くなった写真家の田沼武能さん(享年93)がその人。田沼さんは写真界の地位向上に尽くした文化勲章受章者で、黒柳のユニセフの視察に同行したジャーナリストとしても知られる。その田沼さんが昨年、『女性セブン』記者に黒柳との思い出を語っていた。 田沼さんは、黒柳の行動力や胆力に舌を巻くことがたびたびあったという。「彼女は、どんなひどい紛争地や貧困地域に行ってもいやな顔ひとつせず、誰とでも対等に話すんです。大統領や政府高官とも物怖じせずに交渉するし、アフガニスタンでタリバンの幹部に面会して、難民キャンプの女性が教育を受ける許可を取りつけたこともありました。女優をやっているから『怖がらずに、堂々とする“演技”ができる』と言ってましたね」(田沼さん・以下同) 35年間にわたって行動を共にした2人が、ユニセフの活動で最後に訪れたのは2019年のレバノン。田沼さんが90才のときだ。「写真家は1に体力、2に体力(笑い)。黒柳さんも普段からスクワットで鍛えて、車椅子に乗ってでも舞台に出たりしていますからね。戦中派は根性が違うんです。倒れても、車椅子に乗っても、まずは人の手を借りずに自分でどうにかしないといけないと考えますから。次はいつ行くんだ?と聞いたら、コロナが落ち着いたらまた行こうって言ってました。順調にいけば秋頃かな」 そんな黒柳の盟友の田沼さんだが、彼でも解明できなかった謎がある。「あの人、どんなに暑いところに行っても、それこそ砂漠に行っても、一滴も汗をかかないんです。いつも長袖着てるのに、あれはいまだに不思議だなあ(笑い)。僕は彼女の口から泣き言や、弱音を聞いたことは一度もありません。今後も本人がやりたいと思う限り、世界中の子供たちのために活動を続けていくと思いますよ」 田沼さんの訃報に触れた黒柳は、6月4日付の朝日新聞デジタルの取材にこうコメントしている。「亡くなったのはショックです。田沼さんがいたので今までやってこられた。いらっしゃらないとなると、どうしようかと思ったりしています」 それは彼女がはじめて口にした“泣き言”だったのかもしれない。※女性セブン2022年6月23日号
2022.06.14 07:00
女性セブン
黒柳徹子、急逝の盟友が語っていた秘話「クロアチア、スパイ容疑で拘束」事件
黒柳徹子、急逝の盟友が語っていた秘話「クロアチア、スパイ容疑で拘束」事件
「田沼先生は子どもを撮ったら世界一。ユニセフ親善大使になって、必ず一緒に視察に行きました。今年も秋頃に、視察に行く約束をしていました。いつも、カメラを三つも首にぶら下げて、暑い中、子どもたちに声を掛けながら撮っていたお姿が目に浮かびます」 6月1日に亡くなった写真家の田沼武能さん(享年93)に友人の黒柳徹子(88才)が哀悼の意を表した。田沼さんは写真界の地位向上に尽くした文化勲章受章者で、黒柳のユニセフの視察に同行したジャーナリストとしても知られる。その田沼さんが昨年、『女性セブン』記者に黒柳との思い出を語っていた。「初めて会ったのは彼女がNHKの専属女優になった頃だから、かれこれ70年近いつきあいになるのかな。頭の回転が速くて、当時からすごい女性だと思ったけど、裃を着ないざっくばらんな性格でね。 ユニセフでの1回目の視察は1984年のタンザニア。彼女は普通の女優なら敬遠する治安の悪い場所や、不衛生なところにも平気で行って、泥だらけの子供を抱き上げるんです。言葉の通じない子供たちに、心の温もりで自分の気持ちを伝えようとする真摯な姿に感激して、それからも必ず彼女の親善訪問に同行するようになりました」(田沼さん・以下同) 1960年代からアメリカのタイム・ライフ社と契約してフォトジャーナリストとして活躍していた田沼さんのライフワークは、世界の子供を撮ることだった。だが、単独行動には限界があり、入国が許可されない国もあったという。「当時はパスポートを取るのもひと苦労で、ドルの持ち合わせもないフリーランスが海外に行くのはハードルが高かったんです。黒柳さんが行くなら、普段は行けない国にも行けるかもしれないと考えて同行をお願いしたところ、経験を買われて快く応じていただけました。 旅費や現地での経費はもちろん自腹。これまでに家一軒買えるくらいは使ったんじゃないかな。黒柳さんも、だいぶ身銭を切ったと思います。ユニセフから出るのは交通費と宿泊費くらいで、報酬はたしか年間1ドルでした」 公の場では「黒柳さん」と呼ぶ田沼さんだが、普段は「トットちゃん」と呼ぶ。「それには理由があって、タンザニアに行ったとき、現地でみんなが子供たちに『トット、トット』と言うんですよ。何だろうと思ったら、スワヒリ語で『子供』のことをトットと言うらしいんです。 彼女が親善大使に選ばれたのは、ユニセフの最高責任者が来日したときに、元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんが英語版の『窓ぎわのトットちゃん』を渡して推薦したことがきっかけだったんです。日本から遠く離れたアフリカの地で『トット』がつながった。黒柳さんは不思議な縁だと喜んでいたし、僕もそう呼ぶようになったんです」 ユニセフでの活動目的は、開発途上国の子供のために働くこと。重度の栄養失調に苦しむ子供や、内戦で負傷した子供、大人に銃を渡されて10才くらいから人を殺してきた少年兵にも会った。「南スーダンの首都に『トットちゃんセンター』と名付けられた建物があるんです。本来、ユニセフはこういう建物を造ることを好まないんだけど、現地の少年がこのセンターにかくまわれたためにゲリラに殺されずにすんだということがあったんです。大人になって再会したときに『命の恩人です』と感謝されたことに黒柳さんは喜んでね。それまでずっと腰が痛いと言ってたのに、途端に元気になってひとりでスタスタ歩いてましたから(笑い)」 どんなに過酷な状況に直面しても、子供たちの前で泣いたことはないという黒柳。だが、帰国して田沼さんが撮った写真を見ながら、大粒の涙を流すこともあったという。 緊急事態下の国に行くことが多いため、危険な目に遭うことは日常茶飯事だった。「いちばん衝撃的だったのは1996年に、ボスニア・ヘルツェゴビナに向かう道中でスパイ容疑で、クロアチアの警察に拘束されたときのことです。もちろん濡れ衣なのですが、移動車のバスごと警察に連行された我々は、運転手が取り調べを受けている間、何時間もバスに閉じ込められたんです。 食べるものはないし、喉もカラカラ。黒柳さんは、そんな不安な状況でも、バスの中で芝居の物真似をしたり、歌を歌ったりしてみんなを励ましてくれました。どうやって抜け出したのかは謎ですが、いつの間にか街に出て、彼女がかごいっぱいに買ってきてくれたトマトのおいしかったこと。バスは没収されて、深夜に解放されたのですが、気の毒なことに、運転手が帰ってくることはありませんでした」※女性セブン2022年6月23日号
2022.06.13 07:00
女性セブン
寂しさを口にする機会が増えた黒柳徹子に“同じマンションで暮らす心強い存在”
寂しさを口にする機会が増えた黒柳徹子に“同じマンションで暮らす心強い存在”
 年を重ねると、新しい環境は大きな負担になるものだが、米寿を迎えた黒柳徹子(88才)は、それをいとわなかった。「不慣れな場所」と「孤独」を天秤にかけて選んだ30年ぶりの“引っ越し先”。そこで彼女を待っていたのは、いま、いちばん心を許せる人たちだった 昨年8月に米寿を迎えた黒柳。“不動産好き”として知られ、都内の一等地に複数の物件を所有してきた彼女だが、ここ数年は少しずつ物件を売却し、意外な地域のマンションを購入した。「アーケード商店街の周辺に閑静な住宅地が広がる、若いファミリー層に人気を集めるエリアで、しかもタワーマンションの高層階を購入したと聞きました。おそらく彼女はここに引っ越したのだと思いますが、なんと言うか、らしくない場所と言いますか。黒柳さんがこれまで好んで買ってきた都心近くの物件とは大きく異なるので、スッキリとしない引っ越し先ではあります」(テレビ局関係者) 近年、黒柳さんが収録を行う際には必ず付き添っている男性がいる。オートクチュールのビーズ刺繍デザイナーとして活躍し、「ビーズ王子」として女性ファンからも人気の田川啓二さん(62才)だ。 田川さんとは『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した縁で親交を深め、2016年には黒柳の事務所の代表に就任。田川さんにはAさんという弟分がいて、2018年には事務所代表の座をAさんに譲っており、黒柳がタワマンを購入したタイミングで、Aさんも同じマンションの同じフロアで生活を始めたという。「田川さんとAさんは以前からこの地域を拠点に暮らしていました。黒柳さんに引っ越し先のマンションをすすめたのももちろんそのお二人だと思いますよ」(前出・テレビ関係者)彼らのお世話になりながら最後を迎えたい 2006年に母を亡くして以降、長い間ひとりでたくましく生きてきた黒柳。しかし、80代を迎えた彼女にとって、信頼できる彼らと同じマンションで“ひとつ屋根の下生活”を送れるという状況は、有り難いものだったのかもしれない。80代も後半を迎えると、肉親との別れだけでなく、親しい友人たちが次々に先立っていく。黒柳も例にもれず、ここ数年、寂しさを口にすることが増えていたというのだ。 昨年の雑誌のインタビューではこう漏らしている。《寂しいと思うこともありますよ。池内淳子さんと山岡久乃さんと、後から『夏木陽介さんも加えてあげてもいいわ』なんて言って、みんなで一緒の老人ホームに入ろうって約束してたのに、私だけになっちゃった。 野際陽子さんとも、私はほとんどお酒を飲みませんけど、彼女とはワインを少しだけなめて、たくさんお喋りをして……とても気が合ったのね。ああ、野際さんと話したいなって思うときがありますよ》(2021年1月号『婦人画報』) それでも高齢になってから、長年住み慣れた街を離れるというのは余程の決意があってのことだろう。「それほどこの2人に心を許しているということでしょう。2人のホームタウンに家を購入したのは“最後を託す”というような強い思いも感じます」(前出・黒柳の知人) 着々と終活を進める黒柳は、自分が亡くなった後の遺産相続も視野に入れ、準備を進めているという声もある。 黒柳は1981年に発売され、国内で800万部、中国では1000万部超の大ベストセラーになった著書『窓ぎわのトットちゃん』の印税をもとに、1982年に社会福祉法人「トット基金」を設立。就労継続支援B型施設「トット文化館」と「日本ろう者劇団」などを運営してきた。それに加え、2018年12月に「一般財団法人黒柳徹子記念財団」を設立した。その代表理事には田川さんが就任している。「黒柳さんには弟が2人と妹が1人いますが、きょうだいたちとは疎遠になり、ほとんど交流はないそうです。もし夫も子供もいない黒柳さんが亡くなったら、3人のきょうだいが遺産を相続することになりますが、仕事に関するお金は田川さんに託したい、彼らになら任せられると考えているのかもしれません。 70代、80代を過ぎてから信頼できる仲間を得るというのは一般的にはかなり難しいことと思いますが、そこは黒柳さんならではと言いますか……。全幅の信頼を寄せていて彼らにだったら最後までお世話してもらってもかまわないと思っているのでしょうね」(前出・黒柳の知人) ひとつ屋根の下で共に暮らす友人たちは、いまの黒柳にとって心強い存在であるに違いない。※女性セブン2022年3月17日号
2022.03.04 16:00
女性セブン
父は天才ヴァイオリニストといわれた黒柳守綱氏
黒柳徹子、米寿にして30年ぶりの意外な“引っ越し先”と信頼する男性の存在
「最近、30年くらい暮らしたところから引っ越しをしました。前は親と一緒に引っ越し作業をしたのですが、今回初めて自分でやったんです。台本や化粧品など、すぐに使うものは別にしてわかるようにして、段取りはちゃんとしなければいけないですね」  広大なお屋敷のリビングでくつろぐ黒柳徹子(88才)と引っ越し業者役の俳優・安田顕(48才)のコミカルな掛け合いが続く東京ガスの新CMが、2月24日から放送されている。放送に伴い、公開されたインタビューで黒柳が告白したのは、長年住んだ家からの引っ越しだった──。 黒柳は昨年の8月に米寿を迎えた。「確かに黒柳さんはここ数年、“生活をコンパクトにしていきたい”と周囲に話していましたね」(テレビ局関係者) これまで黒柳は“不動産好き”として知られ、都内の一等地に複数の物件を所有していた。しかし、ここ数年は周囲に話していた通り、コンパクト化を進めていたようだ。2004年には中央区のマンション1戸を、2017年には港区のマンションを2戸売却した。「高齢になると不動産の契約更新や売買などの複雑な手続きが難しくなりますし、認知症になって契約手続き自体ができなくなるリスクもある。相続や遺産分割など後々のこともあるので、元気なうちに不動産を現金化して、扱いやすい資産にしておこうと考える人は少なくありません」(不動産会社関係者) 不動産を次々に現金化する一方で、彼女は、新たに意外な地域のマンションを購入していた。「アーケード商店街の周辺に閑静な住宅地が広がる、若いファミリー層に人気を集めるエリアで、しかもタワーマンションの高層階を購入したと聞きました。おそらく彼女はここに引っ越したのだと思いますが、なんと言うか、らしくない場所と言いますか。黒柳さんがこれまで好んで買ってきた都心近くの物件とは大きく異なるので、スッキリとしない引っ越し先ではあります」(前出・テレビ局関係者) 黒柳を知る別のテレビ局関係者が話すのは、ある人物の影響だ。「いまでも収録には、必ず付き添っています。衣装もほぼ彼が作ったものを着ていらっしゃいますね」 彼とはオートクチュールのビーズ刺繍デザイナーとして活躍し、「ビーズ王子」として女性ファンからも人気の田川啓二さん(62才)だ。「2002年に田川さんが『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演したのをきっかけに親交を深めたようです。2006年に亡くなった黒柳さんのお母さん(朝さん・享年95)も彼の大ファンでした」(黒柳の知人) 共演以降、徐々に親交を深めていった2人。田川さんは2016年4月に黒柳の事務所の代表に就任している。「この頃から黒柳さんは衣装合わせやYouTubeの撮影のために田川さんの事務所に頻繁に通うようになりました。田川さんには兄弟と間違えられるほど仲のいいAさんという弟分がいるのですが、黒柳さんがAさんを信頼するのに時間はかかりませんでした」(前出・黒柳の知人) 田川さんが黒柳の事務所の代表に就任してから2年後の2018年、彼はその座をAさんに譲った。黒柳が件のタワマンを購入したのと同時期に、Aさんも同じマンションの、同じフロアで生活を始めていたという。「田川さんとAさんは以前からこの地域を拠点に暮らしていました。黒柳さんに引っ越し先のマンションをすすめたのももちろんそのお二人だと思いますよ。間もなく90才を迎える黒柳さんに何かあったときのためにと、同じマンションに拠点を持つことにしたのかもしれません」(前出・テレビ局関係者)※女性セブン2022年3月17日号
2022.03.03 16:00
女性セブン
黒柳徹子と20年交際秘話
松本潤、交友歴20年の黒柳徹子からの助言「仕事なければ別の仕事をすればいい」
「モノマネがお上手なんですって?」「何かおもしろいことやってくださる?」「最高の自己紹介をしてください!」──百戦錬磨のお笑い芸人たちも黒柳徹子(88才)のムチャぶりの恐怖におののく『徹子の部屋』(テレビ朝日系)。2月24日、その“魔境”に初挑戦したのが松本潤(38才)だ。「どれほどぎこちない回になるのかと思いきや、収録が始まると、黒柳さんの質問に当意即妙の答えで返し、スムーズに番組は進行。長年の“交際歴”があるだけに、彼女の扱いには長けていたようです」(テレビ局関係者) 50才の年齢差がある2人の関係は20年以上になる。「黒柳さんは事務所社長だったジャニー喜多川さんやメリー喜多川さんと親交が深い。2人をきっかけに、松本さんも黒柳さんと親しくなったようです。 嵐でデビューした10代の頃、松本さんと櫻井翔さん(40才)が突然事務所の人に、新宿のしゃぶしゃぶ店に呼ばれたそうです。そこにメリーさんや黒柳さんがいました。松本さんらはどうなることかと震えていたのですが、約2時間半、黒柳さんが一方的にしゃべり、松本さんはただ相槌を打っていただけだったそうです(笑い)」(芸能関係者) 松本と櫻井はその日のことを「謎の会」と称したほど、ある意味で衝撃的だったようだが、その後も会合は頻繁に続いたという。「2013年、嵐が米ニューヨークを訪れた際、黒柳さんと現地で落ち合い、一緒にお寿司を食べています。2014年の『NHK紅白歌合戦』で共演したときも、放送が終わった深夜2時くらいから黒柳さんを交えて焼肉店で打ち上げをしています。松本さんは黒柳さんの誕生日などお祝いの際、プレゼントを贈っているそうですよ」(前出・芸能関係者) 黒柳は松本にメロメロで、「ハンサム」「すごい努力家」と才能と勤勉さを高く評価。一方の松本も黒柳を師と仰ぐ。嵐の活動休止前最後の『嵐にしやがれ』(日本テレビ系)収録の裏で、黒柳は松本にこう助言したという。「黒柳さんが、芸能活動を休んでニューヨークに1年間留学したときの話をしたと聞きました。“戻ってきたときに仕事がなければ別の仕事をすればいいんだ”“肩肘はらずに自由な暮らしが楽しかった”という思い出を聞いた松本さんは、気が楽になったそうです」(番組関係者) 大御所の「チカラ」は強い。※女性セブン2022年3月10日号
2022.02.24 16:00
女性セブン
審査員から歌手に?
上沼恵美子、番組終了もYouTube好評 これまでの活躍と今後へ前向きな言葉
 長寿番組が終わることが多い最近のテレビ界。上沼恵美子(66才)が司会を務める『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』もこの春で終了することが発表された。番組での共演経験も多い、放送作家でコラムニストの山田美保子氏が、上沼への熱い思いを綴る。 * * *華やかなファッションこそが上沼サンのサービス精神の現れ「ようやく、おいでいただけました」と黒柳徹子サン(88才)が出迎えたのは、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)「祝47年!突入記念ウィーク」の2日目、2月1日のゲスト、上沼恵美子サンでした。 ラテ欄には「初対面!“関西のご意見番”が憧れの黒柳に人生相談!?」と。そう、お2人は初対面だったのですね。意外でした。 上沼サンは、襟元に竹ビーズをあしらった黒のインナーに白のジャケット&ロングスカート。ジャケットの襟の存在感あふれるブローチ、左右の指に光るリング、袖から見え隠れする大きな時計、耳元で揺れるイヤリングなどなど、アクセサリーで遊ぶのが上沼サン流です。この華やかなファッションこそが、上沼サンのサービス精神の表れであり、全身がカメラに映る冠番組しかない上沼サンだからこそのスタイルなのです。 黒柳徹子サンといえば“芸人泣かせ”として有名ですが(笑い)、上沼サンともなると、「大活躍」「親近感」「おもしろい」「お上手」と大絶賛。上沼サンは「鳥肌が立っている」とおっしゃり、途中から首に汗をかいていらっしゃるのがわかるほど緊張していらっしゃいましたが、トークのテンポは上沼サンがリードしていらしたような気がします。 唯一、「徹子サン、それはないです」とツッコませていただいたのは、海原千里・万里の大ヒット曲『大阪ラプソディー』のジャケ写が映った際、「どっちがアナタですか?」と質問されたことでした。 海原万里こと芦川百々子サン(72才)は、上沼サンが番組でたびたびその容姿をネタにする愛すべき「おねーちゃん」。デビューの頃から、カワイイ妹で通ってきた上沼サンに対し、「顔が似ていらっしゃるじゃない?」と(苦笑)。上沼サンもそのときだけは微妙な表情をされていました。大阪のABCテレビでご覧になっていた皆さんも、まさかの事態に大笑いされたのではないかと思われます。 上沼サンのトークに心を奪われ、コラムで何度も書かせていただいたのは『バラエティー生活笑百科』(NHK)で上沼サンが“浪花のヤング主婦代表”として出ていらした頃。 熱い想いはすぐにご本人に伝わり、私は『ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW』(読売テレビ)や『愛の修羅バラ!』(同)、『今夜はえみぃ~GO!!』(毎日放送)にレギュラー出演させていただき、現在も放送されている『上沼・高田のクギズケ!』(読売テレビ)の初期にも何度かお邪魔していたのです。 上沼サンのエピソードなら、『日清ちびっこのどじまん』(フジテレビ系)での天童よしみサン(67才)とのバトルから、ご主人が定年後、突然ご自宅でウクレレを奏でるようになったことまで知っています。もちろん、大嫌いな芸能人の名前も(!)、特別に教えていただける機会がありました。 そんな上沼サンの大ファンである私はいま、とても悲しんでいます。それは、『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』(テレビ朝日系)が4月1日で終了してしまい、東京住まいの者が地上波で、上沼サンを見られる機会がなくなってしまうからなのです。 開始から四半世紀以上。グルメであり、自身もお料理上手な上沼サンが“辻調”こと辻調理師専門学校の先生と共に食材や週替わりのゲストの皆さんを“調理”してしまう、笑えるのに上質なお料理番組でした。 上沼サン自身、2人の息子さんとご主人のお食事を完璧に作ってきたかたなので、手際のよさはバツグン! 私はそんな上沼サンのお料理を『今夜はえみぃ~GO!!』で毎回試食させていただく光栄にも恵まれていました。 料理番組にありがちな“差し替え”がほとんどなく、多くの調理アシスタントも置かずに、正真正銘、上沼サンがスタジオ内のキッチンセットで材料の準備から盛り付けまでチャチャッと仕上げてしまうのです。もちろん、ゲストにツッコミながら……です。 同番組のレシピ本も持っています。そこには、上沼サンが選び抜いた麺つゆや瓶詰、インスタント食品などを駆使しながら、スピード感ある簡単クッキングのコツが記されているうえ、ご自宅で愛用する調理器具や食器までを惜しみなく公開。 もっとも驚かされたのは、石焼ビビンパに使われる石鍋が「家族の人数分ある」と聞いたときでした。「おもしろいなぁ山田サンは」がかけがえのない“宝物” 驚くといえば、上沼サンはあれだけ人気者だというのに、「言いたいことが言えなくなるから」と近年はテレビCMに出ていらっしゃらなかった。オファーは星の数ほどあったと思います。でも断っておられたのです。 その代わり、言うべきことはハッキリ言っておられましたし、頭の回転のよさと物知りゆえ、番組では、ず~っとしゃべっていられる。大好きな人には面と向かって「大好きです」と伝える上沼サンに「大好き」と言ってもらいたくて、共演させていただく番組では、どの番組より(!)がんばっていたことを思い出します。 以前、番組出演者とお食事に行く機会があったとき、隣に座られた上沼サンから「おもしろいなぁ、山田サンは」と静かなトーンで言っていただいたことはかけがえのない“宝物”。ある大御所男性に意見できるのは“長男の嫁”である某タレントしかいませんよ……と私がつぶやいたときに返していただいたお言葉です。 とにかく上沼サンをず~っと見ていたいし、お仕事を続けていただきたいので東京から念を送っていた私。 なのに、『M–1 グランプリ2018』(ABCテレビ・テレビ朝日系)の上沼サンの審査に際し、某芸人さんが放った暴言や見解が騒動になったり、東京にもさまざまなウワサが流れてきた『快傑えみちゃんねる』(関西テレビ)が突然終了してしまったり。“M-1”の審査員はオール巨人サン(70才)と共に“卒業”を約束されています(泣)。 そして『~おしゃべりクッキング』の終了と、この数年、いろいろなことがあった上沼サンが仕事を嫌いになってしまっていたらどうしよう……と陰ながら本当に心配していたものです。 土曜朝のお楽しみだった『いつでも笑みを!』(関西テレビ・フジテレビ系)の再開だって私は諦めていないんですけれど……。『徹子の部屋』の「黒柳に人生相談!?」とはまさにそのことで、コンプライアンス最重視のテレビ局やコロナ禍、そして自身の年齢などを鑑み、上沼サンは「しがみつくところがない」とまでおっしゃったのです。 ですが「誰に言われるよりスゴイです」と降参した黒柳サンからのアドバイスとエールにより、最後は「元気、勇気、やる気が出てきました」と結んだ上沼サンに思わずメールをしてしまいました。すると返信が! 私信なので詳細は記しませんが、「これからは楽しいことだけ見つけて歩いて参ります」といううれしい一文がありました。 偉大であり愛すべき上沼恵美子サン! 黒柳サンがおっしゃったように、上沼サンには大勢の女性ファンがいます。それは上沼サンが主婦にとって日本一の代弁者だからです。大好評のYouTubeだけでなく、テレビもラジオもず〜っと続けてください! またご一緒できますよう祈っています。構成/山田美保子『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『バイキングMORE』(フジテレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。※女性セブン2022年3月3日号
2022.02.19 07:00
女性セブン
審査員から歌手に?
上沼恵美子、黒柳徹子と初共演は“生前整理”? 今後はYouTubeを主戦場に
“東の女帝”は遅すぎた初対面を前に、“西の女帝”について「怖い……だってあのかた大阪でいちばん怖いんでしょ?」と評した。50年近く『徹子の部屋』(テレビ朝日系)の司会を務め、同一司会者による番組の放送回数でギネス世界記録を持つ黒柳徹子(88才)が東の女帝なら、30年近く複数の冠番組を持ってきた上沼恵美子(66才)は西の女帝だろう。東西の女性名物司会者が、2月1日ついに初共演を果たした。「2月で47年目に突入した『徹子の部屋』の特別ゲストとして上沼さんが出演したのです。テレ朝のプロデューサーが長文の手紙で熱烈なオファーを送った結果でした。上沼さんは『徹子の部屋』に出たことがなかったばかりか、意外にも2人の共演は一度もありませんでした。半世紀を経ての初対面が実現したことになります」(テレビ局関係者) 収録は昨年12月だった。「どんな収録になるんだろうとビクビクしていましたが、さすがの一言でした。収録前には上沼さんが黒柳さんの楽屋へ挨拶に行き、昆布とかつおぶしの手土産を渡していましたし、黒柳さんも季節もののクリスマスのオーナメントをプレゼントし、和やかなムードで収録に入れました。話題も、上沼さんが姉妹コンビとしてお笑いを始めた経緯や、別居しながらも仲よく暮らす不思議な夫婦関係を語るなど、盛り上がっていました」(前出・テレビ局関係者) ビッグな対談が実現した背景には、上沼のある変化があるという。「いまのテレビ業界の守りに入っているスタンスと、自分の攻めのスタイルが合っていないと感じて“タレント卒業”を口にしたり、ごく親しい関係者には引退をも伝えています。しかし、表舞台から完全に去るわけではなく、これからはYouTubeを主戦場に活動をしていくようですね。今回の共演も、“やり残し”がないように、という上沼さんなりのテレビ業界での“生前整理”だったのでしょう」(別のテレビ局関係者) 確かに、一昨年、1995年から続いていた『快傑えみちゃんねる』(関西テレビ)が終了し、そしてこの春には同年開始の『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』(朝日放送)も終了する。長年審査員を務めてきた『M-1グランプリ』(朝日放送)からも、降板を表明済みだ。しかし、『徹子の部屋』では、黒柳に励まされて「黒柳さんの言う通りにします!」と仕事継続を誓った上沼。女帝の思惑はいかに……。※女性セブン2022年2月17・24日号
2022.02.11 07:00
女性セブン
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往年の音楽番組『ザ・ベストテン』 セットを使い回ししないこだわり
 1978年から1989年までTBS系で放送された音楽番組『ザ・ベストテン』。最高視聴率41.9%を記録した、伝説的な番組だ。 毎週、厳正なランキングが発表され、歌手たちが生歌・生演奏を披露する『ザ・ベストテン』だが、スタジオで歌う歌手用の凝った美術セットはどう用意されたのか? 同番組で美術デザイナーを務めた三原康博さん(84才)はこう話す。「ミラーゲートから出て来た歌手を応接セットで黒柳徹子さんと久米宏さんが出迎えてトークした後、右側の小ホリ側のバンド前か、左側の大ホリ前のどちらかに歌手を送り込むのです。 この大ホリでセットがチェンジできるほか、ソファの対面にある大道具搬入口の黒幕前も次第に使うようになりました」 ここで注目なのが、同じ曲でもセットが毎回新しくなる点だ。「ぼくはデザインや美術というのはある程度“消費”しないといけないと考えています。 セットを消費するということは、美術の協力会社からすれば毎回お金が入る。ぼくたちはものを考えることに徹することができ、そこにクリエイティブが生まれる。それが毎週あることはしんどいけれど、美術セットに携わる人にとってはよいこと。だから『ザ・ベストテン』の美術セットは使い回しをしなかったのです」(三原さん) これが浸透してくると、毎回斬新なセットを楽しみにする歌手もいれば、「どうして私はいつもバンド前なの」と言う歌手も現れた。歌が美術セットを刺激し、美術セットが歌手を刺激するいい関係が生まれたのだ。取材・文/北武司※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.15 07:00
女性セブン
父は天才ヴァイオリニストといわれた黒柳守綱氏
『ザ・ベストテン』神回プレーバック ざわついたトシ&聖子の相合い傘
 伝説的な音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)。毎週ヒット曲をランク付けし、10位から1位までを紹介、そのなかの何組かが歌を披露するという生放送番組だ。視聴率41.9%という番組史上最高記録をマークした、1981年9月17日放送回はファンの間で「神回」と呼ばれているという。そんな「神回」を文字で再現。今回は第5位から第2位までを振り返る。【全3回の第2回】 * * * 史上最高視聴率41.9%を記録した神回のランキングもいよいよトップ5へ。「今週の第5位は『もしもピアノが弾けたなら』西田敏行さん7683点~」「続きまして今週の第4位は『守ってあげたい』松任谷由実さん7919点~」。 そうコールした直後、久米宏が「松任谷さんは現在LPの制作中のために、今夜ご出演になれません。申し訳ありません」と頭を下げる。これも同番組でよく見られた光景だ。同番組元ディレクターの宇都宮荘太郎さん(68才)が振り返る。「ニューミュージックのシンガーソングライターがランクインした場合、ミラーゲートから歌手が現れず、がっかりさせることが多々ありました。ただ、出演しない理由をそのまま伝えることで、逆にランキングを操作していないことが視聴者に伝わった面もあったと思います」 続いて、NHK大河ドラマ『おんな太閤記』の楽屋と中継がつながり、5位の西田敏行(74才)がドラマの扮装のまま筋肉踊りを披露した。 そして、20位から11位のランキング紹介に続き、「今週のスポットライト」に『キッスは目にして!』を歌うザ・ヴィーナスが登場。 再びランキングに戻ると、「今週の第3位は田原俊彦さん『悲しみ2(TOO)ヤング』8039点!」「そして今週の第2位は松田聖子さん『白いパラソル』8682点!」と再び連続発表となった。田原俊彦(60才)に続いて松田聖子(59才)が歌う際、2人の相合い傘シーンがファンをざわつかせた。これも歌手と楽曲の魅力を最大限引き出そうとした『ザ・ベストテン』らしい演出だ。 このシーンを見た黒柳徹子が、「ファンの皆さんには『田原さんと聖子さんを絶対並ばせない。間には私が入る』って言ってたのに」と、いつも以上の早口でまくしたてたが、そのそばから、かぶせるように「今週の第1位~!」と久米が渾身のランキングコール。「『ハイスクールララバイ』イモ欽トリオ9882点~!!」とファンファーレが鳴ると、ミラーゲートからイモ欽トリオが元気に登場。くす玉が割れ、紙吹雪が舞った。「いらっしゃいませ~、おめでとうございます」「圧倒的な強さですね。9882点は西城秀樹さん『YOUNG MAN』の満点に次ぐ史上第2位の高得点です」と両司会も絶賛する堂々の第1位だ。(第3回につづく)取材・文/北武司※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.13 07:00
女性セブン
『ザ・ベストテン』打ち合わせ秘話 黒柳徹子は3時間半しゃべりっぱなし
『ザ・ベストテン』打ち合わせ秘話 黒柳徹子は3時間半しゃべりっぱなし
 昭和から平成初期にかけて放送され、大人気となった音楽番組が、『ザ・ベストテン』(TBS系)だ。1981年9月には41.9%という番組史上最高視聴率を記録、まさに伝説的な音楽番組だ。 同番組で司会を務めたのは黒柳徹子。そして、初代の久米宏からはじまり、複数の男性司会者が担当した。1986年から約2年半にわたり同番組の司会を務めたのが、元TBSアナウンサーの松下賢次さん(68才)だ。「当時、夕方のニュース番組のスポーツコーナーでダジャレをかまして視聴率を稼いでいたのが山田修爾プロデューサーの目に留まり、最初は久米宏さんのピンチヒッター、その後はレギュラーとして『ザ・ベストテン』入りしました」(松下さん) 松下さんはもともとスポーツ畑だったが、「黒柳徹子という天才的な人と一緒に仕事をできたことがアナウンサーとしてのスキルアップはもちろん、人生の大きな財産になった」と言う。「本番を2日後に控えた火曜夜、その日局内で『日立 世界ふしぎ発見!』の収録を終えた黒柳さんと21時頃から翌1時頃まで食事を摂りながら小部屋で打ち合わせ。 そのうち3時間半は、実は黒柳さんがしゃべりっぱなし(笑い)。ディレクターが『そろそろ打ち合わせを』と言うと10分ほどでササッと手書きで台本にポイントを書き込み、司会打ち合わせは終了。それが当時の黒柳さんのルーティンでしたね」(松下さん)『ザ・ベストテン』は毎週木曜日の放送に先立ち、前週火曜日から準備が始まる。火曜16時までにランキングが算出されると、出演者のスケジュール確認が行われ、18時から構成作家を交え、「地獄の構成会議」が未明まで続く。 一方、美術担当は木曜の生本番直後に次週の楽曲の打ち合わせがあり、週末にイメージを膨らませ、月曜に美術大道具・小道具の発注。同時に新聞ラテ欄への出演者提出や中継回線申請などが行われ、火曜に司会打ち合わせ。水曜にはカメラ割り、台本の決定稿ができ、木曜を迎えた。取材・文/北武司※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.12 07:00
女性セブン
ベストテン
『ザ・ベストテン』生歌・生演奏が基本 中継でも生バンドにこだわる
 20世紀を代表する音楽番組と言えるのが、黒柳徹子の司会でおなじみの『ザ・ベストテン』(TBS系)だろう。1981年9月17日放送回では視聴率41.9%という驚異的な数字を叩き出し、もはや伝説となっている。 毎週ヒット曲をランキング化して発表する同番組では、スタジオに来られない歌手を全国津々浦々まで追いかけ、現地で歌ってもらったのも醍醐味だった。同番組元ディレクターの宇都宮荘太郎さん(68才)は話す。「番組開始当初は、国内中継でさえ、当時の日本電信電話公社と事前交渉し、時間限定で回線を確保しなければ簡単にはできない時代でした。 時間がずれたら回線が途切れるリスクがある状況下にもかかわらず、この番組は、新幹線や駅のホーム、空港の滑走路などで歌ってもらう離れワザの生中継を数多く敢行しました」 番組スタッフや中継先の地方局の努力と苦労があって、臨場感ある映像が生まれた。芸能ジャーナリストの渡邉裕二さんが言う。「全国的な生中継にはTBS系JNNの地方系列局の協力が欠かせません。全国放送の音楽番組は、地方局の制作陣のモチベーションも上がって、スタッフ育成や制作力アップにもつながった。これも“ザ・ベストテン効果”です」番組独自の生演奏&生歌にこだわった 中継先でも生バンドによる演奏にこだわったのが『ザ・ベストテン』らしさの1つだ。「カラオケの使用や口パクが行われる音楽番組もありますが、『ザ・ベストテン』では生演奏・生歌が原則。自前のバックバンドと一緒に出演するアーティストは、セットでバンドの姿が見えない場合であっても、必ずGスタジオで生演奏してもらいました。 スタジオ外から生中継の際も、生バンドがついていくか、あらかじめGスタでビッグバンドが演奏したオケ(歌なしのオーケストラ録音)を持参し、それをもとに歌っていただいた。市販レコードと同じ音源のオケを使うと音がビビッドでなくなるからそれは避ける、というこだわりがありました」(宇都宮さん)取材・文/北武司※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.11 07:00
女性セブン
父は天才ヴァイオリニストといわれた黒柳守綱氏
伝説の40%超え『ザ・ベストテン』 ランキングが公正だったからこその功績
 さかのぼること40年。驚異の視聴率「41.9%」を記録したのが、1981年9月17日に放送された『ザ・ベストテン』(TBS系)だ。同番組の第189回となったこの回は、コアなファンたちの間で「神回」と呼ばれている──。「現在のTBSの最高視聴率番組がドラマ『日本沈没 ─希望のひと─』(2021年)の約16%ですから、41.9%は目を疑うような数字。平均視聴率20~30%でしたから、いかにおばけ番組だったかがわかります」と話すのは、元TBSアナウンサーで、1986年から約2年半、同番組の司会を務めた松下賢次さん(68才)だ。こんな裏話がある。「実は『ザ・ベストテン』の第1回放送では、当時絶大な人気だった山口百恵さんが集計の結果11位で選外となった。それを知った局の上層部は、『歌番組、しかも新番組で山口百恵を登場させないなんてことがあるか。ほかの歌手と入れ替えろ』とプロデューサーの故・山田修爾さんに迫った。 しかし山田さんは頑なに『それはできません』と譲らなかった。厳正なランキング方式を貫く山田さんの姿勢に、司会の黒柳徹子さん(88才)は信頼を厚くし、『何かの都合で本当の1位じゃない人を、私に1位と紹介させないでくださいね』と微笑んだそうです」(松下さん) こうしたランキング形式の歌番組は従来にない試みで、それゆえ難儀したと語るのは、同番組で美術デザイナーを務めた三原康博さん(84才)だ。三原さんが述懐する。「『ザ・ベストテン』以前に『TBS歌のグランプリ』という番組があって、それにぼくも多少かかわっていました。そもそも昔の音楽番組は、所属レコード会社が異なる歌手が一緒に出演することはありませんでした。それを変えようとしたのがTBSの音楽班で作曲家でもあった故鈴木道明さん。鈴木さんの働きかけによって、レコード会社も他社の歌手との共演を徐々に承諾するようになっていきました。そうした素地が整った後、『ザ・ベストテン』が企画されたのです。 ところが、そうした流れにあっても、歌手の間で順位がつくとなるとまた大変で、出演交渉の段階からかなり難航したようです。制作陣の苦労は相当なものでした」 同番組元ディレクターの宇都宮荘太郎さん(68才)が語る。「ランクインが予想される20~30人の歌手のスケジュールを約2か月先まで調べ、所属プロダクションや歌手の移動先に前もって連絡や根回しをしました。ランキングは流動的で不確定ですから、かなりの激務でした」 紆余曲折を経て出演許諾を得た歌手たちの魅力を、番組は最大限引き出そうとした。 スタジオで歌う歌手には凝った美術セットを全力で提供する一方、スタジオ出演できない歌手のためにもバンドや音響などの環境を整えた。中継を担った地方局スタッフと綿密な連携をとりながら、10組の歌手を生放送でつないだ。「追いかけます。お出かけならばどこまでも」というキャッチフレーズが生まれた陰には、全国の系列局の協力があった。芸能ジャーナリストの渡邉裕二さんが言う。「黒柳徹子と久米宏(77才)による漫才のような早口で軽妙な司会もよかった。トークにたくさんの情報が入っていて、歌手の近況がリアルタイムでわかる“音楽情報ドキュメンタリー番組”でした。 また、公正なランキング形式というスタイルは、音楽番組になかなか呼ばれなかった弱小プロダクション所属の歌手にも等しく光を当てた。それも『ザ・ベストテン』の功績だと思います」取材・文/北武司※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.08 07:00
女性セブン
故・坂本九さん生誕80年、妻・柏木由紀子さんの背中を押した竹内まりやの言葉
故・坂本九さん生誕80年、妻・柏木由紀子さんの背中を押した竹内まりやの言葉
 東京オリンピックの閉会式(8月8日)では、世界的に親しまれた坂本九さんの「上を向いて歩こう」の歌声が会場に流れ、多くの人を感動させた。 1985年8月12日に起こった日本航空123便(ジャンボ機)の墜落事故。犠牲となった520名の中には歌手の坂本九さんもいた。人なつっこい笑顔と心に響く歌に誰もが惹かれた九さんの死を、日本中が悲しんだ。「当時は、もう二度と笑える日が来ることはないと思っていました。それでも今、こうやって笑顔で過ごせるようになりました」 そう話すのは、幸せな日々から突然、最愛の夫を失ってしまった女優の柏木由紀子さん。36年前の「あの日」から、それでも歩き続けた現在の日々を語る。* * *「あの日のことは今でも鮮明に覚えています。私は38才で娘の花子と舞子もまだ小学生。NHKでの収録の後、夕方に羽田から伊丹へ向かう予定の主人を朝10時に見送って、娘達と3人で買い物に出かけました。自宅に戻ると、主人が一旦帰宅した形跡がありました。お蕎麦の出前をとって運転手さんと食べてから空港に向かったようでした」(以下、カッコ内、柏木さん) 夕方、柏木さんと娘さん3人でお風呂に入り、先に出た花子ちゃんがたまたまついていたテレビのニュースを見た。そして『パパ、何時の飛行機に乗った?』と血相を変えて飛んできた。レーダーから日本航空の飛行機が消えたというニュースを知り、いつもは全日空だから大丈夫と一瞬思ったが、その日は満席で日本航空になったということを思い出した柏木さんの全身を強い震えが襲った――。 そして事故から4日後、群馬県御巣鷹山近くの遺体安置所で、柏木さんは変わり果てた夫の姿と対面する。九さんがいつもつけていたペンダントは墜落の衝撃で鎖が引きちぎられ、四角いペンダントの部分は折れ曲がって胸に突き刺さっていた。「棺の横で一生分の涙を流しました。結婚してからそれまでずっと、主人がすべてフォローしてくれていたので、私はうまく答えられなくても主人の隣でにこにこ笑っていればよかった。彼なしでは生きていけない、もうこの先どうしていけばいいのか、全くわかりませんでした」 九さんと柏木さんが出会ったのは、九さんが28才、柏木さんが22才のころ。「最初は、いろんなことを教えてくれるお兄さんのような存在で、憧れを抱いていました。私はドラマの主演が決まったり女優の仕事がうまく進み始めた時期で、結婚は考えていなかったのですが、彼と一緒にいると楽しくて。しだいに『結婚しなくちゃ、この人とこれからもずっと一緒にいられない』と思うようになったんです」 それから女優の仕事はセーブし、1971年に結婚。九さんは、ゴルフやテニスといったスポーツや出かけるのも『一緒に行こう、その方が楽しいよ』と柏木さんを誘ってくれるので、仕事以外はほとんどいつも一緒。1973年に花子さん、1976年に舞子さんが生まれ、それは楽しく幸せな日々だった。「“イクメン”なんて言葉はまだない時代だったけれど、すごく子煩悩で、おむつを替えたり次の日朝早くから仕事でも夜中に寝かしつけてくれたりしました。ちょっとしたケンカは普通にしていましたよ。私も若かったから、帰りが遅いと『どこへ行ってたの?』なんて聞いてしまうとか。お互いしばらく話さないなんてこともあったけど、よい思い出しか残っていないんです。だから講演で話をするとよい人すぎるみたいな感じになってしまう(笑い)」 事故の後、柏木さんには講演会の依頼が次々と来た。人前で話すなんて無理と思っていた柏木さんだが、チャレンジしてみよう、家計の足しにもなるかもしれないと始め、九さんとの思い出や事故のこと、その後の状況など伝えていく活動をずっと続けている。 そして、坂本九さんの生誕80周年になる今年、柏木さんは著書『星を見上げて歩き続けて』(光文社刊)を出版した。「震災や自然災害があったり、新型コロナウィルスの影響で、たいへん辛い思いをしている方がたくさんいらっしゃいます。私自身、事故の後、『時が悲しみを解決する』となぐさめられても、そんな気持ちになれませんでした。家族を突然失うという、どん底の経験をした私だからこそ、勇気をもってほしい、時間はかかってもいつか笑える日がまた来る、だから今を大切に生きてほしい、とお伝えしたいと思いました」 実は、そんな柏木さんの思いを後押ししてくれた人がいる。「黒柳徹子さんの舞台を観に行って、竹内まりやさんにお会いした時、『バラの季節にぜひいらしてください』とお誘いして、我が家にいらしていただいたんです。まりやさんは子どもの頃から主人をリスペクトしてくださっていたそうで、坂本九のことや、バラやファッション、犬、家のリフォーム・・・・・・いろんなお話をしました。そうしたら「絶対、本を出した方がいいと思う」って。『本を出した時には私が帯を書くわよ』とまで言ってくださったんです」 そんな言葉も支えになって、この区切りの年に出版することが実現化したという。< 由紀子さんの笑顔の向こうには、底知れぬ悲しみを乗り越えた人だけが持つ本当の強さと優しさがあった。竹内まりや > と書かれた表紙の帯。「まりやさんは、歌詞と違って短い言葉でまとめるのは難しかった、とおっしゃっていましたけど、ほんとうにもうさすがですよね。これだけの文字数で全てが伝わって心が掴まれます」 また、九さんとはテレビ番組などで共演も多かった黒柳徹子が、柏木さんとの対談という形で同著に登場する。黒柳は、事故の直後からずっと心配して一緒に悲しんでくれて、柏木さんがこらえきれない時には夜中に電話して話を聞いてもらったこともあるという。「今回、黒柳さんとはZoomのオンラインで対談させていただきましたが、記憶力がすごいんですよ。『あの時こういう話したじゃない?』なんて昔のことを詳しく覚えていらして。88才になられたんですよね。私より年上なのにお元気かつポジティブで、ほんとうに尊敬します」 事故の翌年に出版された一作目の自著『上を向いて歩こう』も読み返した柏木さん。当時は茫然自失の中でふりしぼって書いた感じだったという。「36年も経つと、私は忘れてきていることもあって、幸せだった日々のことも含めて『残しておきたい』という気持ちがあったんですよね。そして、こうやって前へ進んでこられたこれまでを思い出しながら、ちょっとだけ客観的に心がけて書いてみました」 柏木さんにとって、8月12日を迎えるのは「またこの日が来る・・・」という気持ちだという。「それでも、花子と舞子も結婚してそれぞれ長男が生まれて、みんなでお墓参りに行ったり。どちらの家族も私の家からも近い場所に住んでいるので、孫に恵まれて賑やかになりました。平和で幸せな日々が送れています。 つらいことを抱えていらっしゃる方が、すぐには前向きな気持ちになれないと思います。そんな時には無理をせず、泣きたいときに泣いて、人にすがって話を聞いてもらったり。そして、時間が少しずつ悲しみを取り去って、やがていつかきっと私のように、必ず乗り越えられる時が来ると思いますよ」 柏木さんは、73才とは思えない若々しい肌と髪にピンと背筋の伸びた姿勢で、優雅にそう微笑んだ。
2021.08.11 07:00
NEWSポストセブン
日本を代表する華麗なる一族
松岡修造、黒柳徹子、大黒摩季、SAM、三田アナの共通点は「偉大な父」
 才能あふれる人物の父親が、本人を凌ぐほどの功績を持っていた──。芸能界では、そういったケースが多い。偉大な父の背中を見て育った著名人を紹介しよう。「高祖父は阪急阪神東宝グループ創業者で、宝塚歌劇団の創設者でもある小林一三氏。姻戚にはサントリー元会長の鳥井信一郎氏などもいる。父・松岡功氏は現在、大手映画配給会社・東宝の名誉会長で、母は元タカラジェンヌの千波静さんです」(経済ジャーナリスト) もうおわかりかもしれないが、元プロテニスプレーヤーで“超ポジティブ人間”が印象的な松岡修造(53才)だ。「プロ選手になりたいと伝えたとき、お父さんからは家業を継ぐ話はまったく出なかったとか。兄の松岡宏泰氏は海外映画を輸入する東宝東和会長で、姉の夫は辻調理師専門学校校長の辻芳樹氏。ビジネスはきょうだいに任せて彼は自分のやりたいことを優先したのです」(松岡修造の知人) 偉大な父を持つのは松岡だけではない。黒柳徹子は、天才と称されたヴァイオリニスト黒柳守綱氏を父に持つ。新交響楽団(NHK交響楽団の前身)や東京交響楽団でコンサートマスターを務めた。戦後はシベリアにて捕虜にされるも、無事帰国し、再び音楽の世界へ戻った。 千秋の父は日本板硝子株式会社元代表取締役の藤本勝司氏。国内では業界2位で、英の同業他社を買収して世界でもトップクラスになっている。ビルや住宅の建築ガラス、トヨタやフォルクスワーゲンの車用ガラスを販売・製造を行っている。 フジテレビの三田友梨佳アナの父は、料亭『玄冶店 濱田家』社長・三田芳裕氏だ。老舗の名店で、ミシュランで三つ星を獲得したことがある。加えて、劇場『明治座』でも社長を務めており、芳裕氏が2代目として経営をしている。 その他にも、こんな偉大な父を持つ著名人がいる。■アンジェラ・アキ 英会話の『イーオン』を創業した安藝清氏を父に持つ。全国に教室は250校あり、約2400人の従業員を抱えている。年商は約260億円ともいわれている“英語ビジネスの雄”だ。■大黒摩季 パンの老舗名店『木村屋』ののれん分けで『札幌キムラヤ』を開いた大黒正芳氏が父だ。1920年代に開業し、札幌におけるパン文化を広める一助となった。■矢部太郎 絵本作家で1977年より子供のための造形教室『はらっぱ』を主宰するやべみつのり氏が父。紙芝居作家でもあり、1996年に最も優秀な紙芝居に贈られる第34回五山賞奨励賞受賞。■SAM 前身の病院を含め120年の歴史がある丸山記念総合病院創設者の1人である丸山正義氏を父に持つ。地域医療を活性化して多くの人を救えるよう、多額の借金をして埼玉でも有数の病院を設立した。■一青窈 父は、台湾で知らない人はいない5大財閥「顔一族」の長男で実業家として活動した顔恵民氏。台湾が日本に統治されていた頃、金鉱経営で財をなした名家で、台湾経済を回す一助になった。※女性セブン2021年7月15日号
2021.07.06 16:00
女性セブン

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