そんな愛に溢れた日々を送っていたからこそ、松永さんは今回のブログで、
<妻が私に教えてくれた、他者に対する愛を、私に残された人生で実践していきたいのです。
そして、妻と娘が愛してくれたままの自分らしくありたいのです。
そのために、私はあなたと争い続けるためにエネルギーをこれ以上使いたくないのです。
そんな事より、交通事故をひとつでも無くすための活動に全力を注ぎたいのです。
私にこの先何年も、人を恨み続ける道を歩ませないで欲しい。2人の愛してくれた、私らしい私でいさせて欲しいのです。
あなたも人の子であるならば、私の
「愛しているからこそ、2人の命を無駄にしたくない」
という気持ち、少しだけ想像してみてほしいです。>
という心からの願いを綴っている。
「少しずつでも、交通事故をなくせるように社会を変えていきたい。そうして誰かの心に残っていったら、真菜と莉子は生きているのと同じことなんです」
加害者の持つ権利は尊重するが、これ以上争うことは、社会にも、遺族にも、加害者本人にも、その家族にも、何の利益にもならない、誰も幸せになれない、と松永さんは話す。
「高齢かつ、衰えによって運転に問題がありそうな人がいることは事実でしょう。その人たちに自分の経験を伝えること、何が原因でこの事故が起きたのかを真摯に見つめて言葉と行動で示していくことが社会の利益になると僕は思うんです。
ちょっと大げさな話になるかもしれませんが、人類って、失敗して、間違ってそこから進化してきた。戦争も人種差別やいろいろな差別も、繰り返されてきたけれど、少しずつよくないことだと認識されてなくなってきたはず。人間は、間違いを犯しても考えて反省してよい方向へ修正していける生きものなのではないでしょうか。
車の運転をやめるのには勇気がいります。去年亡くなった僕の祖父も、10年前に運転が危険な状態になり、免許を返納してもらうのにとても苦労しました。加害者も、自分はやめられず運転を続けてしまいどんなことになったのか、過ちを次の世代に活かせるようにしてほしいんです。加害者自身の失敗から伝える言葉は、被害者遺族の立場の僕が言うよりも、ずっと影響力があるはずです」
<社会に対して争いの感情をばら撒くのはもう辞めませんか。
「どうすればこういった事故を無くせるのか」という視点を共に持ちませんか。その為にできる事は、これだけの証拠を前にして「車のせいだ」と言い続けることでは決してないはずです。>
という松永さんからの呼びかけは、飯塚被告に届いているのだろうか。