移籍早々、本塁打を放つ中田翔(時事通信フォト)
大甘裁定だと再び問題を起こしかねない
一方で、不祥事などへの処分は、人気選手ほど甘くなる面もあるという。1989年9月、ロッテの平沼定晴から死球を受けた西武の清原和博は、マウンド目掛けてバットを投げつけるなどの暴行を働いた。平沼は全治2週間のケガを負ったが、清原は2日間の出場停止処分に留まっている。1988年、南海のバナザードは同僚のライトが死球を受けたことに激昂し、ベンチを飛び出して近鉄の加藤哲郎へ暴行。7日間の出場停止となっていた。1986年には近鉄のデービスが西武の東尾修から死球を受けてマウンドに駆け上がり、パンチやキックを見舞って10日間の出場停止に。バナザード、デービスらと比べ、パ・リーグ連盟の清原への処分は甘いと言われた。
「当時パ・リーグは今と比べて人気がなかったし、優勝争いで盛り上がる中で、スター選手の清原を何日も休ませられないという配慮もあったのではないでしょうか。
中田の“ヤンチャさ”も、能力や人気の高さゆえに許されてきた部分があったでしょう。とはいえ、人気があるがゆえにそうした面を見過ごしてきたことが、今回の暴力事件に繋がった面もあると思います。それなのに、またすぐに処分が解ける“大甘裁定”が下された。これでは、『再び問題を起こしかねない原因を日本ハムと巨人が作ってしまった』と言われても否定できない」
この問題は、野球で結果を残せば解消されるわけではない。
「もっと反省させる期間を設けなければならなかったのではないでしょうか。人間誰しも間違いは犯しますが、それでも、謹慎期間が長ければ、その分、反省時の苦しみも覚えているものです。たった半月程度の謹慎では、忘れるのも早くなる。トレード自体は良いとしても、“無期限出場停止”というなら、少なくとも今シーズン終了までは解除すべきではなかったのでは。
中田本人は、プロ野球選手である以上、グラウンド上のプレーで名誉挽回したいと考えているかもしれませんが、プレーとは別の部分で起こした問題なのだから、それは筋が違う。中田が活躍して巨人が逆転優勝しても、他球団のファンのみならず、複雑な気持ちになるG党もたくさんいると思いますよ」
グラウンドで取り返せばいい──と素直に言えないところに、この問題の根深さがあるのではないだろうか。