主演の柳楽と比べれば、有村の出番は決して多いわけではない。しかし、彼女が演じる世津のセリフや佇まいは、どうにも強く印象に残る。もちろん、若手俳優の象徴的な存在である有村が演じるキャラクターなのだから、というのは1つあるだろう。ここ最近の彼女といえば、話題作・ヒット作への出演が絶えず、誰もが認める“実力者”だと断言して問題ないはず。
だが、世津の姿が印象に残るのには、他の理由がある。それは、原爆開発に没頭する修や軍人としての生き方に苛まれる裕之が、戦時下である“いま”にばかり囚われているのに対し、世津だけ、戦争が終わった後の“未来”のことを考えているからだ。有村が声を震わせて発する「勝っても負けてもいい。とにかく終わって欲しい」という言葉は、この時代に生きていない人が見ても胸に響くものがある。当時は、市井の人々の多くが口にしたくてもできなかった言葉であり、誰もが持ちたくても持つことができなかった、未来への小さな希望だからだ。世津はこれをしっかりと持っている。いわば彼女は、戦時下を生きた人々の「代弁者」のようであり、コロナ禍やその対策で後手に回る国政によって先行きが不透明な“いま”を生きる私たちの心情とも重なるように思うのだ。
思い返してみれば今年の有村は、“時代の代弁者”と呼んでも良さそうな役どころが続いている。菅田将暉(28才)とのダブル主演作『花束みたいな恋をした』や、ドラマ『コントが始まる』(日本テレビ系)がそうだ。前者では菅田とともに一組のカップルに扮し、恋物語を展開。等身大のカップル像、有村が体現した現代の若い女性像は多くの共感を呼んだ。後者で彼女が演じたのは、鳴かず飛ばずのお笑いトリオの熱狂的なファンであり、彼らを見守る存在。こちらもまた、私たち視聴者の身近にいるような女性を好演し、ドラマと視聴者の架け橋的ポジションを担った。どちらの作品も、等身大の若者を自然体で演じる有村のセリフの一つひとつが切実さをもって迫ってきたものだ。
『花束みたいな恋をした』の土井裕泰監督(57才)は、有村と菅田のコンビを“若手俳優のトップランナー”と称したうえで、「彼らが表現したものが、その時代を体現している」と評している。『映画 太陽の子』の舞台は戦時下であり、現代ではない。しかし、“いま”という時代の体現者である有村が演じるからこそ、未来を見据えて生き抜こうとする世津の言葉が時代を越えて、現代の観客にも響くのではないだろうか。
【折田侑駿】
文筆家。1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。