また、女性が求める結婚相手の条件として高学歴、高収入、高身長を表す“3高”や、食事をごちそうするだけの“メッシーくん”や送り迎えだけをしてくれる“アッシーくん”なる言葉が生まれたのも、このバブル期だ。
「1986年に『男女雇用機会均等法』が施行されたものの、約7割の女性は結婚後に仕事をやめていました。まだ終身雇用が健在で、条件のいい男性と結婚すれば一生安泰、との思考も根強かったのです」
こうして女性たちが男性をあらゆる条件で見定めていた頃、「1人の男性が“かっこいい男”の概念を大きく変えた」と、牛窪さんは続ける。
「それは明石家さんまさん(66才)です。さんまさんは『オレたちひょうきん族』(1981年、フジテレビ系)でお笑いタレントとして絶大な人気を誇っていましたが、1986年にはドラマ『男女7人夏物語』(TBS系)で新境地を開拓。
バラエティーでは、完全な“三枚目キャラ”なのに、ドラマでは雨の中でずぶ濡れになりながら、大竹しのぶさん(64才)に『好きやねや!』と告白し、女性を引っ張っていくような強さも見せたことで、さらに人気はうなぎのぼり。1985年から1989年まで、NHK放送文化研究所の調査でも、常に『好きなタレント』の1位でした」
一方、バブル期の若者文化はファッションが花盛り。『イッセイ ミヤケ』『コム デ ギャルソン』『ヨウジヤマモト』といったデザイナーズブランドが若者を熱狂させていく。
「デザイナーズブランドをどのようにして着こなすかを紹介したのが、1986年創刊の『メンズノンノ』(集英社)です。
それまで若い男性が読む雑誌は『POPEYE』(マガジンハウス)のように“どのようにしたら女の子にモテるか”といったハウツーものが主流でした。
でも、『メンズノンノ』はモデルにポージングをさせ、洋服をよりかっこよく見せていた。洗練されたファッションを着こなすことができるスタイルを持った、長身の阿部寛さん(57才)や風間トオルさん(59才)などがモデルとして起用され、彼らのスタイルを真似る男性が続出しました」(沖さん)
見た目を「〇〇顔」と分類したのは1980年代後半だ。
「顔の特徴を調味料になぞらえ、彫りが深く濃い顔のことを『ソース顔』、すっきりした顔立ちを『しょうゆ顔』といい、1988年の流行語大賞にも選ばれました。その後、色白であっさりした顔立ちの『塩顔』なども登場しています」(沖さん)
1988年には『an・an』(マガジンハウス)が、「好きな男・嫌いな男」特集を始め、その後、恒例企画となるが、その栄えある第1回の好きな男は『抱きしめてTONIGHT』がヒットしていた田原俊彦だった。
取材・文/廉屋友美乃
※女性セブン2021年9月9日号