田原俊彦一覧

【田原俊彦】に関するニュースを集めたページです。

芸能レポーター・前田忠明氏が経験した修羅場を振り返る
前田忠明は頭を丸めて事務所に謝罪したことも 芸能レポーターが経験した修羅場
 梨元勝氏(享年65)が2010年に死去し、井上公造氏(65)が今年3月に引退するなど、芸能レポーターという職業は、もはや化石となりつつある。しかし、現場主義を貫く彼や彼女らがいたからこそ伝わるものもあった。ベテラン芸能レポーターの東海林のり子氏(87)と前田忠明氏(80)が、その仕事の意義について振り返った。当時のワイドショーにあった熱気がリアルによみがえる──。【全4回の第3回。第1回から読む】 * * *東海林:当時はどんな形でも、本人の肉声を聞こうとしていたわね。そういえば、私が還暦パーティーをした時、忠ちゃん丸坊主にしてなかった?前田:あった、あった。1994年かな。東海林:誰かに怒られたの?前田:問題を起こしたあるタレントについて、「事務所の管理能力が足りない」と生放送で言ったの。そしたら、プロダクションが「冗談じゃない!」と激怒して。菓子折り持って謝罪に行っても許してくれなくて、1週間後、丸坊主にして行ったら許してくれた。そういう時代だったんだ。東海林:修羅場ってあるわよね。前田:今のワイドショーを見ると、タレントがスタジオで自分の意見を述べているけど、同じ芸能人には厳しく言えないだろうし、その後ろには事務所があるわけでしょ。どうしても緩い発言になるよ。東海林:レポーターが言っているほうが、説得力があるわね。当時は、各局のライバル意識も凄かった。私たちが独自のルートで事件のキーになる場所を突き止め、向かっていたの。そしたら、日本テレビの車が後ろから付いてきた。何をしても他局に負けないという熱気がワイドショー全体にあった。前田:あるタレントを全局で張り込んでいた時、深夜12時を過ぎても帰ってこない。みんなで話し合って、「今日は撤収しよう」と解散したんだよ。そしたら30分後、全員その場所に戻ってきた(笑)。東海林:張り込み、直撃が当たり前だったもんね。前田:一時期、アン・ルイスと吉川晃司が怪しいという噂があって、彼女の住むマンションの前で張り込んだ。見つからないように、いろいろ位置を変えて隠れたりしてさ。でも、一向に出てこない。すると、本人から電話が掛かってきて「いい加減にしなさい。上から全部見えてるんだから」と言われて。東海林:漫画みたいな話ね(笑)。前田:参ったよ。その後、ホテルのラウンジでお茶を飲んでいる吉川晃司を見つけたんだよ。他局はいなくて、独占ですよ。店から出てきたから直撃したの。「ヨシカワさん!」と声を掛けたら、「ヨシカワじゃねえよ、キッカワだよ!」と怒られて。人の名前も知らないバカなレポーターがここにいる(笑)。東海林:あっはっはっ! どの局も独自のスクープを取ろうとしていたけど、なかには足並みを揃えたがる人もいたわね。トシちゃん(田原俊彦)が長女誕生会見を開いた時、お祝いの花束を持って行ったの。おめでたいことだから当然でしょ。そしたら、他局の女性レポーターに「え? 花束渡すの? あなたのところだけよ」って冷たく言われたの。前田:「僕くらいビッグになると」という発言が話題になった時ね。東海林:彼女たちは何度追い掛けても、トシちゃんの肉声が取れなかった。それでカリカリしていたんだと思うけど、今思い出しても頭に来る。(第4回につづく)【プロフィール】東海林のり子(しょうじ・のりこ)/1934年生まれ。事件・芸能レポーター。立教大学卒業後、1957年ニッポン放送にアナウンサーとして入社。1970年退社後、『3時のあなた』『おはよう!ナイスデイ』(ともにフジテレビ系)などの番組でレポーターとして活躍。前田忠明(まえだ・ただあき)/1941年生まれ。芸能レポーター。 明治大学卒業後、1970年光文社「女性自身」の記者として入社。1980年フジテレビと専属契約を結び、『おはよう!ナイスデイ』『TIME:3 タイムスリー』(ともにフジテレビ系)などの番組でレポーターとして活躍。【聞き手・構成】岡野誠(おかの・まこと)/1978年生まれ。ライター。著書に『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記 1979-2018』(青弓社)がある。執筆記事〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞に。※週刊ポスト2022年4月29日号
2022.04.20 16:00
週刊ポスト
父は天才ヴァイオリニストといわれた黒柳守綱氏
『ザ・ベストテン』神回プレーバック ざわついたトシ&聖子の相合い傘
 伝説的な音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)。毎週ヒット曲をランク付けし、10位から1位までを紹介、そのなかの何組かが歌を披露するという生放送番組だ。視聴率41.9%という番組史上最高記録をマークした、1981年9月17日放送回はファンの間で「神回」と呼ばれているという。そんな「神回」を文字で再現。今回は第5位から第2位までを振り返る。【全3回の第2回】 * * * 史上最高視聴率41.9%を記録した神回のランキングもいよいよトップ5へ。「今週の第5位は『もしもピアノが弾けたなら』西田敏行さん7683点~」「続きまして今週の第4位は『守ってあげたい』松任谷由実さん7919点~」。 そうコールした直後、久米宏が「松任谷さんは現在LPの制作中のために、今夜ご出演になれません。申し訳ありません」と頭を下げる。これも同番組でよく見られた光景だ。同番組元ディレクターの宇都宮荘太郎さん(68才)が振り返る。「ニューミュージックのシンガーソングライターがランクインした場合、ミラーゲートから歌手が現れず、がっかりさせることが多々ありました。ただ、出演しない理由をそのまま伝えることで、逆にランキングを操作していないことが視聴者に伝わった面もあったと思います」 続いて、NHK大河ドラマ『おんな太閤記』の楽屋と中継がつながり、5位の西田敏行(74才)がドラマの扮装のまま筋肉踊りを披露した。 そして、20位から11位のランキング紹介に続き、「今週のスポットライト」に『キッスは目にして!』を歌うザ・ヴィーナスが登場。 再びランキングに戻ると、「今週の第3位は田原俊彦さん『悲しみ2(TOO)ヤング』8039点!」「そして今週の第2位は松田聖子さん『白いパラソル』8682点!」と再び連続発表となった。田原俊彦(60才)に続いて松田聖子(59才)が歌う際、2人の相合い傘シーンがファンをざわつかせた。これも歌手と楽曲の魅力を最大限引き出そうとした『ザ・ベストテン』らしい演出だ。 このシーンを見た黒柳徹子が、「ファンの皆さんには『田原さんと聖子さんを絶対並ばせない。間には私が入る』って言ってたのに」と、いつも以上の早口でまくしたてたが、そのそばから、かぶせるように「今週の第1位~!」と久米が渾身のランキングコール。「『ハイスクールララバイ』イモ欽トリオ9882点~!!」とファンファーレが鳴ると、ミラーゲートからイモ欽トリオが元気に登場。くす玉が割れ、紙吹雪が舞った。「いらっしゃいませ~、おめでとうございます」「圧倒的な強さですね。9882点は西城秀樹さん『YOUNG MAN』の満点に次ぐ史上第2位の高得点です」と両司会も絶賛する堂々の第1位だ。(第3回につづく)取材・文/北武司※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.13 07:00
女性セブン
田原俊彦のわかわかしい姿
田原俊彦、写真集で60才の「赤いふんどし」姿披露 5年別居妻の反応は?
 5年間も“仮面夫婦”を続ける妻は、夫が60才にもなって「ふんどし一丁」でハジケている姿を見て何を感じただろうか──田原俊彦(60才)が2022年1月に発売される写真集『DOCUMENTARY』(仮)で、還暦にちなみ「赤いふんどし姿」を披露する。 先行して公開された数枚の写真を見ると、二の腕はムキッと艶やかな曲線を描き、腹筋はきれいに割れたシックスパック、お尻はキュッと上がり無駄な脂肪がなく、60才とは思えない肉体美。本人は、写真集発売に「ついに! ちょっと気恥ずかしさもありますが、還暦にしてヌード!?になっちゃいました」とコメントするが、気恥ずかしさなど微塵も感じさせない堂々たるポージングだ。 2021年の田原は全国ツアーを終えたかと思えば、現在はディナーショーをこなす多忙な日々。しかし、芸能活動が勢いを失わない一方で、1993年に結婚した元モデル妻との私生活では膠着状態が続いている。 きっかけは2015年4月に報じられた、28才年下の女優との不倫疑惑だった。以降、夫婦の間で言い争いが絶えなくなり、田原が家を出ていく形に。別居から5年経ったいまも、離婚には至っておらず、周囲からは“仮面夫婦”と囁かれている。 さらに、田原は別居後も、“びんびん”な女性関係が報じられ続けた。西麻布や六本木で目撃されていたのは、いずれも20代と思われる華やかな女性とカフェやブランドショップでデートする姿だった。当然、奔放な女性関係から、別居先のマンションで若い女性と暮らしていると噂されたが、その暮らしは意外なものだった。「同居しているのは、専属スタイリストの男性だったんです(笑い)。妻との籍を抜かないのは、まだ家族への気持ちが残っているからなんでしょうか……」(芸能関係者) 一方、妻はすでに新たな道を歩き始めていた。「3年ほど前からバーでアルバイトを始めています。もう田原さんのことは“気にしない”ことにしているのでしょうね」(妻の知人) 妻に田原のヌード写真集発売について聞いてみると、「時間がないので、お答えできません」とピシャリ。トシちゃん渾身の赤フン姿は、妻をまったく「ハッ」とさせていなかった。※女性セブン2022年1月6・13日号
2021.12.23 07:00
女性セブン
太田が暴走しても田中が止めるスタイル(時事通信フォト)
爆笑問題、事務所独立後の不遇の時期を経て今も第一線で活躍できる理由
 10月1日、『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)で『太田プロ大集合SP』が放送され、太田プロダクション所属のダチョウ倶楽部、土田晃之、劇団ひとり、野呂佳代、指原莉乃、宮下草薙などがスタジオ出演した。有吉弘行も『竜兵会』のロケに参加し、事務所誕生の再現ドラマには大島優子、つるの剛士らが登場。事務所総出で番組を盛り上げた。 その中で、過去に所属していた爆笑問題の太田光と田中裕二もVTRで秘話を明かした。芸能関係者が話す。「まさか2人が登場するとは驚きました。爆笑問題は1988年に太田プロにスカウトされ、翌年には『鶴ちゃんのプッツン5』(日本テレビ系)のレギュラーになります。もちろん実力も折り紙付きでしたが、事務所の先輩である片岡鶴太郎の番組だったことも抜擢理由の1つでしょう。いわゆるバーター的側面もあったわけです。しかし、1990年秋に退社。わずか2年半で大手事務所を辞めたことで、業界では起用されにくくなってしまった」 その後、太田はテレビのゴーストライターなどをこなし、田中はコンビニでアルバイトをするほど芸人として窮状に追い込まれた。この状況を見兼ねた光の妻である太田光代は旧所属事務所へ仁義を切った上で1993年11月、芸能事務所『タイタン』を設立。その直前、爆笑問題は28歳で『NHK新人演芸大賞』を獲得。翌年、お笑い芸人の勝ち抜き番組『GAHAHA 爆笑王決定戦』(テレビ朝日系)で10週連続勝者となって初代チャンピオンとなり、復活への狼煙を上げていった。「2人の名が知れ渡ったのは、『タモリのSuperボキャブラ天国』(フジテレビ系)でしょうね。若手芸人の集う番組は“ボキャ天ブーム”を生み、その中心に爆笑問題がいました。若手とは言えない年齢でしたが、実力でそれを乗り越えた。1990年代後半になると、『号外!!爆笑大問題』(日本テレビ系)などの冠番組を持つようになり、現在までテレビのレギュラー番組を欠かしていません。『サンデージャポン』(TBS系)は10月で21年目に突入します」 著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)で爆笑問題についても言及している芸能研究家の岡野誠氏は2人が売れ続ける理由をこう分析する。「忖度の蔓延る世の中で、太田さんは何を言い出すかわからないと期待を抱かせる昨今珍しい存在。それを止める役目の田中さんが輪をかけて、危ない発言をする時もある(笑)。また、56歳になった今も新しい漫才を作って披露し続けるという努力を決して怠らない。常に漫才師として戦う姿勢を見せている。 これらに加え、2人には根底に人への優しさ、温かさがある。これも大きいと思います。事務所独立で辛酸を舐めたことで、同じような立場の人の心情や痛みを慮れる。その好例が田原俊彦さんへの対応でしょう。長女誕生記者会見でのいわゆる『ビッグ発言』で傲慢なイメージが付いてしまった田原さんに対し、愛情を持った上で太田さんが『俺以上に空気読めない!』、田中さんが『もう1回干されろ!』などと言っていた。2人が敢えて強めの突っ込みをしたことで、相対的に田原さんのぶっきら棒さが緩和され、ネガティブイメージが消えました。爆笑問題も若手に混じってもう一度這いあがろうとした時、年下に変に気を遣われるとマイナスになると実感していたから、そのような接し方をしたのでしょう」 2017年11月には、ジャニーズ事務所を独立したばかりの元SMAPの稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾がAbemaTVで『72時間ホンネテレビ』を放送。デリケートな時期であったが、爆笑問題は真っ先にゲストのオファーに応じた。番組の放送作家を務めた鈴木おさむ氏は9月19日放送の『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ)で、「ああいう状況で来ていただいて。本当に感謝しています。勇気もすごいですし」と話した。 爆笑問題は太田プロ独立後に苦境に陥ったが、その経験を肥やしにして、56歳となった今も第一線で活躍し続けている。
2021.10.03 11:00
NEWSポストセブン
【動画】還暦の田原俊彦 20代美女を相手に「圧巻のデート」現場
【動画】還暦の田原俊彦 20代美女を相手に「圧巻のデート」現場
 8月のある日の夜、20代前半とおぼしき美女とのデートを楽しむ田原俊彦さんの姿をキャッチしました。 黒いキャップに黒縁メガネ、清潔感のある白いTシャツをサラリと着こなした田原さん。 還暦とは思えない若々しいルックスとアグレッシブなトークで美女との食事を楽しんでいました。 自分が話すよりも女性の話を聞く時間のほうが長く、こまめに相槌を打っていた田原さん。 会計も女性がトイレで退席中にスマートに済ませました。 さすが、永遠のアイドルですね!【↑ 上の写真クリックで動画へ】
2021.10.01 16:00
NEWSポストセブン
田原俊彦
還暦の田原俊彦「爆乳はイヤだ」20代美女を相手に「圧巻のデート術」
 黒いキャップに黒縁メガネ、清潔感のある白いTシャツをサラリと着こなすナイスガイ。8月のある日の夜、田原俊彦(60才)が、還暦を迎えたとは思えない若々しいルックス、そしてアグレッシブなトークを繰り広げながら、美女とデートをしていた様子を女性セブンがキャッチした。 キャンドルが灯るカフェの店内。トシちゃんは、目の前に座る20代前半とおぼしき川口春奈似の女性の胸元に目をやって、突然、こう口にしたのだ。「おっぱい、盛り過ぎ~」 女性はムッとした表情で「盛ってないから~! 私はDカップ」と返すと、トシちゃんは「はぁ~? Dカップだっけ~?」と笑顔。親密な仲なのだろう。女性はいやらしさを感じていない様子。それどころか彼女から「顔が可愛くてそんなに大きくないけど美乳か、あまり可愛くないけど爆乳、どっちが好き?」とトシちゃんに問いかけ、彼は「爆乳はイヤだ」と真顔で言い放つのだった。その言葉に女性はちょっと嬉しそうに、はにかんだ笑顔を見せ、その後も女性の胸に関するトークは続いていった──。 ジャニーズ事務所から芸能界デビューして、既に40年が過ぎた。マイケル・ジャクソンを師と仰ぐトシちゃんは、実は毎年のように新曲を出し、コンサートも開催。脚を高く上げる「ハイキックポーズ」はいまだにキレッキレで、ステージを所狭しと走り回って熱唱。そのせいか体も絞られていてスタイルの良さも健在だ。これが“永遠のアイドル”と言われる所以だが、私生活も若かりし頃と変わっていないようだった。  1993年に元モデルの女性と結婚し、二女に恵まれたトシちゃん。娘は二人とも成人し、長女の田原可南子(27才)は女優や歌手として活躍している。この日、一緒にいた女性は、その長女よりも年下に見えたが……。ある芸能関係者が話す。「6年ほど前、28才年下の女優との不倫疑惑を『FRIDAY』にスッパ抜かれて以降、奥さんとは別居状態だと報じられています。その後も女性とのデートがたびたび報じられていますが、毎回相手は別のようですね。いまだにトシちゃんがモテるという話なのですが、普通なら不倫だと咎められるはずが、誰からも問題視されない。離婚という話にもなっていないようですし、デートすること自体は家族公認のようです」 この6月に発売された『婦人公論』でインタビューに答えたトシちゃんは、デート現場で次女と鉢合わせになったと告白。「パパ、何してるの?」と聞かれ、「何って、お茶してるんだよ」と開き直ったと振り返っていた。それでも、親子仲は「良いほうじゃないかな」と語っており、ある程度の“交際”は家族から許されているのかもしれない。 それもこれもトシちゃんのキャラがなせるワザだと前出の芸能関係者は続ける。「同時期にジャニーズからデビューしたマッチこと近藤真彦さん(57才)は、昨年の不倫報道で大きな代償を払いましたが、トシちゃんは過去に不倫報道があったけど無傷と言っていい(笑い)。その差は何か。トシちゃんは普段から“まだまだモテたい”、“いい服を着ていい車に乗って、いい女を落としたい”と言い続けていますから、そこはマッチと違うところ。トシちゃんなら女性とデートするのは普通か、と思えてしまう。“キャラ勝ち”といったところでしょうか。 それと、彼はくどき上手で対応も紳士的。デートした女性と抜き差しならない関係になることもなく、きれいに終わっているんです。だから相手の女性と揉めたり、家族から三行半を突きつけられたりといった“不倫トラブル”にはなっていないのでしょう」 冒頭のデート現場でも、トシちゃんの“巧みなデート術”が垣間見えた。食事中、女性がソースを服に付けてしまうと、すかさずナプキンを持って立ち上がり、拭き取っていく。自分が話すよりも女性の話を聞く時間のほうが長く、その間、相槌はこまめに打つ。会計も女性がトイレで退席中にスマートに済ませていた。 年の差は40才近くあるのかもしれない。けれども、夜の街に消えていったカップルは、周囲から浮くこともなく、あまりに自然体だった。
2021.09.26 07:00
NEWSポストセブン
変化する「イケメン」の姿 1980年代後半には「〇〇顔」の分類も
変化する「イケメン」の姿 1980年代後半には「〇〇顔」の分類も
 多様性を認める社会の実現のためには、人を外見だけで判断することは避けるべきだ。だからこそ、今の時代の“イケメン”というものは、単純に見た目だけではなく、中身も含めての評価と言えるだろう。 いわば、社会情勢の影響を受けて、時代ごとに変わっていくのが“イケメン”。1970年代後半から1980年代では、むしろ男性たちが見た目を磨いていく時代だったのかもしれない。 1970年代後半に入るとニューミュージックや映画『サタデー・ナイト・フィーバー』に代表されるようなダンスミュージックが流行。ほぼ時を同じくしてデヴィッド・ボウイ(享年69)のようにアイシャドーにチーク、口紅を施したロック歌手が人気になり、“男性メイク”が世界中に浸透し始める。 日本では、1979年にYMOが登場し、シンセサイザーを使ったテクノポップに若者たちは魅了されていく。「1980年代に入ると、それまでの長髪が急に古臭く感じられるようになります。男性の間では短く切った髪にパーマをかけたり、襟足を刈り上げたり、もみあげ部分を鋭角に切る“テクノカット”がおしゃれとされるようになりました」(イケメン評論家の沖直実さん) 奇抜なメイクとファッションをした男性たちが時代をリードしていくが、日本では青春ドラマ全盛期を迎え、多くのアイドルが登場する。「1979年から『3年B組金八先生』(TBS系)の放送が始まり、田原俊彦さん(60才)、近藤真彦さん(57才)、野村義男さん(56才)の“たのきんトリオ”に日本中の女の子たちが夢中になりました。ただ、アイドルの枠にハマらない、吉川晃司さん(56才)のような男気あふれたタイプに惹かれる女子もいましたね」(沖さん)バブル景気によってモテる男性は 稼げる遊びなれたシティーボーイに 1985年、日本の資産価格(株価や地価など)が急上昇。さらに円高により、異常なまでの好景気となる。「日本全体が好景気だったこともあり、女性が結婚相手に求める条件として、経済力にドンとフォーカスが当たりました。この頃は、企業も接待交際費が潤沢で、タクシーチケットを使って、おしゃれなレストランに女性を連れて行ったり、高級なワインの名前をたくさん知っていたり、といった“いかに遊びなれているか”が、モテる条件の1つになっていました」(世代・トレンド評論家の牛窪恵さん・以下同) また、女性が求める結婚相手の条件として高学歴、高収入、高身長を表す“3高”や、食事をごちそうするだけの“メッシーくん”や送り迎えだけをしてくれる“アッシーくん”なる言葉が生まれたのも、このバブル期だ。「1986年に『男女雇用機会均等法』が施行されたものの、約7割の女性は結婚後に仕事をやめていました。まだ終身雇用が健在で、条件のいい男性と結婚すれば一生安泰、との思考も根強かったのです」 こうして女性たちが男性をあらゆる条件で見定めていた頃、「1人の男性が“かっこいい男”の概念を大きく変えた」と、牛窪さんは続ける。「それは明石家さんまさん(66才)です。さんまさんは『オレたちひょうきん族』(1981年、フジテレビ系)でお笑いタレントとして絶大な人気を誇っていましたが、1986年にはドラマ『男女7人夏物語』(TBS系)で新境地を開拓。 バラエティーでは、完全な“三枚目キャラ”なのに、ドラマでは雨の中でずぶ濡れになりながら、大竹しのぶさん(64才)に『好きやねや!』と告白し、女性を引っ張っていくような強さも見せたことで、さらに人気はうなぎのぼり。1985年から1989年まで、NHK放送文化研究所の調査でも、常に『好きなタレント』の1位でした」 一方、バブル期の若者文化はファッションが花盛り。『イッセイ ミヤケ』『コム デ ギャルソン』『ヨウジヤマモト』といったデザイナーズブランドが若者を熱狂させていく。「デザイナーズブランドをどのようにして着こなすかを紹介したのが、1986年創刊の『メンズノンノ』(集英社)です。 それまで若い男性が読む雑誌は『POPEYE』(マガジンハウス)のように“どのようにしたら女の子にモテるか”といったハウツーものが主流でした。 でも、『メンズノンノ』はモデルにポージングをさせ、洋服をよりかっこよく見せていた。洗練されたファッションを着こなすことができるスタイルを持った、長身の阿部寛さん(57才)や風間トオルさん(59才)などがモデルとして起用され、彼らのスタイルを真似る男性が続出しました」(沖さん) 見た目を「〇〇顔」と分類したのは1980年代後半だ。「顔の特徴を調味料になぞらえ、彫りが深く濃い顔のことを『ソース顔』、すっきりした顔立ちを『しょうゆ顔』といい、1988年の流行語大賞にも選ばれました。その後、色白であっさりした顔立ちの『塩顔』なども登場しています」(沖さん) 1988年には『an・an』(マガジンハウス)が、「好きな男・嫌いな男」特集を始め、その後、恒例企画となるが、その栄えある第1回の好きな男は『抱きしめてTONIGHT』がヒットしていた田原俊彦だった。取材・文/廉屋友美乃※女性セブン2021年9月9日号
2021.08.30 19:00
女性セブン
田原俊彦「1980年代アイドル」ならではの底力とは
田原俊彦、コロナ禍で客席静かなライブでも「なんてことない」と言えるワケ
 昨今のコンサートや舞台では、新型コロナウイルス感染症対策のため、観客は声を上げられないケースがほとんど。演者は、マスクで口元を覆った無表情の人たちに見詰められながら、自らのパフォーマンスを披露しなければならない。非常に難しい環境だろう。 そんな反応の薄いコロナ禍ライブでも、今年還暦を迎えた田原俊彦は以前と変わらない動きと喋りを続けている。8月21日、新型コロナウイルス感染拡大防止のガイドラインに沿って千葉・市原市民会館で行なわれた全国ツアー初日公演の最初のMCでこう話した。「僕はテレビで育った人間ですから、(客席が静かでも)なんてことはないです」 田原がデビューしてスターに成長していった1980年代、テレビでは毎日のように音楽番組が放送されていた。『レッツゴーヤング』(NHK)や『歌のトップテン』(日本テレビ系)のように客を入れる公開収録もあったが、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)や『ザ・ベストテン』(TBS系)などスタッフしかいないスタジオで歌うことも多々あった。『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会を1985年10月から務めた古舘伊知郎は今年7月12日更新のYouTubeチャンネルで、番組の本番前にディレクターが分厚い台本でADの頭を引っ叩き、出演者やスタッフの空気がピリッと締まったことなどを明かしている。つまり、当時のアイドルは笑えない状況を目の当たりにしながらも、自分の出番になれば切り替えて笑顔を見せたり、曲に入り込んだりしていたわけだ。 1980年代後半にゴールデン帯の歌番組が続けざまに終了し、ヒットすれば毎週歌えるランキング番組もなくなったが、1980年代前半の田原のテレビ番組への出演回数は圧倒的だった。当時のVTRや新聞のテレビ欄などを参照しながら調べたところ、田原はデビュー3年目の1982年には362本の番組に出演している(再放送除く。拙著『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記』巻末資料より)。 さらに、今では考えられない環境で歌うことも多数あった。1983年3月31日、田原は『ザ・ベストテン』で『ピエロ』が2位にランクイン。岡山・倉敷でのコンサートを終えて新幹線で帰京中だったため、名古屋駅に停車する2分を使って車内で歌った。スタジオと中継が繋がると、司会の黒柳徹子はこう畳み掛けた。徹子:随分、いろんな方がいろんなことをこの番組ではなさいましたが、新幹線の中でお歌いになるというのは、あなたが初めてではないかと思いますが。田原:あ、そうですか。僕も初体験です。徹子:恥ずかしいとかそういうことは?田原:いや、そんなことないです。周りみんなね、僕のコンサートのスタッフと仲間たちだからね。 この時は観客がいない上に、番組は名古屋駅前の商業ビル『テルミナ』の屋上から撮影しており、新幹線内にカメラすらない。曲は田原のヘッドホンからは聞こえるのみで、車内では流れていない。周囲のスタッフからすれば、アカペラで歌っているように聞こえる。徹子が「恥ずかしいとかそういうことは?」と尋ねたのも、独特な環境を考慮したからだろう。それでも、田原はいつもと同じように歌い、司会の久米宏に「新幹線で歌った気分はどうでした?」と聞かれると、「もう、最高ですね(笑)」と吹き出していた。 同番組では、苗場でテニスをしながら『原宿キッス』を披露(1982年7月8日)。雨の降りしきる両国国技館前で、つま先がはみ出るほどのスペースしかないクレーンで地上数10メートルの高さまで釣り上げられて『銀河の神話』を歌ったこともあった(1985年2月28日)。 さまざまな特殊な体験をしていた田原にとってみれば、コロナ禍ライブの静寂は“なんてことはない”のだろう。1980年代、毎日のようにテレビの向こうにいるファンを想像しながら、テンションを上げて自らの魅力を訴えていたからだ。 当時は権威である高視聴率の歌番組に出演せず、ライブ中心に活動するアーティストがカッコイイという風潮もあった。そんな時代に、彼はテレビに出演し続け、奇想天外な演出にも応えた。ファンにはカッコ良く映っても、ダサいと感じた視聴者もいたはずだ。 だが、コロナ禍の今、反応の薄い状況や無茶な演出方法の中で歌った経験が役に立っている。客席が盛り上がっていなくても、自らの力で引っ張っていく1980年代アイドルの底力は侮れない。■文/岡野誠:ライター。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では本人へのインタビュー、野村宏伸など関係者への取材などを通じて、人気絶頂から事務所独立、苦境、現在の復活まで熱のこもった筆致で描き出した。田原の1982年、1988年の全出演番組(計534本)の視聴率やテレビ欄の文言、番組内容なども巻末資料として掲載。
2021.08.26 16:00
NEWSポストセブン
【動画】田原俊彦の娘・可南子 グラビア登場に父の思いは?
【動画】田原俊彦の娘・可南子 グラビア登場に父の思いは?
 田原俊彦さんの長女で女優の田原可南子さんのグラビアが話題です。最近は、雑誌のグラビアでも魅惑的なランジェリー姿を披露した可南子さん。父、田原さんはどう思っているのでしょうか。 事務所担当者に話を聞くと「田原さんはあくまでも仕事は仕事。家庭は家庭。そこはキッパリ分けているので、可南子さんのことは1人のタレントとして見ています」とのこと。 可南子さんの仕事に特別触れることはなく、少し離れたところからエールを送っているそうです。【↑ 上の写真クリックで動画へ】
2021.03.29 07:00
NEWSポストセブン
田原俊彦の娘・可南子 セクシーなグラビア登場に“父親の思い”は
田原俊彦の娘・可南子 セクシーなグラビア登場に“父親の思い”は
 トシちゃんこと田原俊彦(60才)の長女で女優の田原可南子(27才)のグラビアが話題になっている。魅惑的なランジェリー姿も披露した可南子。最近ではインスタグラムで父親との仲良しツーショットも公開していたが、トシちゃんはどう思っていたのだろうか。「10年ぶりのグラビア撮影とあって、食事制限にトレーニングと気合十分。でも、お父さんには“内緒”だったそうですよ」(出版業界関係者) 可南子は『ミスマガジン2011』の準グランプリの受賞をきっかけに、『綾乃美花』としてデビュー。2015年に本名に戻し、ドラマやバラエティー番組に出演している。 田原父娘は真っ赤なポルシェでドライブを楽しんだり、父のライブには必ず娘が駆けつけたりするなど仲がいい。しかし、仕事となれば別の話。芸能関係者が語る。「田原さんは娘のタレント業を“アルバイト感覚”と評して、一切口を挟まず距離を置いてきました。芸能界入りした子供をバックアップする芸能人が多いなかで、田原さんは親子共演を避けてきた。茨の道を歩みながらも第一線で活躍し続けてきた田原さんなりの、娘への愛情なのでしょう」 可南子もこれまで父親を“ネタ”にすることはなかったが、昨年頃からバラエティー番組などで積極的に父親の話をするようになった。「SNSでも田原さんの若いころの写真をあげたり、ツーショットをアップしたりと“2世アピール”をしていますね。今回のグラビア撮影のインタビューでも、大半が父親の話ばかりでしたね」(前出・出版業界関係者) かつては雑誌のインタビューで、娘をお風呂に入れてあげたことを嬉しそうに語っていた田原。娘のグラビアについて、パパの思いは? 田原の事務所担当者に話を聞いた。「田原さんはあくまでも仕事は仕事。家庭は家庭。そこはキッパリ分けているので、可南子さんのことは1人のタレントとして見ています。可南子さんの仕事に特別触れることはなく、頑張っている姿を少し離れたところから見守っている。それが彼のエールなんです。だから田原さんがタレント田原可南子の活動を語ることはありません。 可南子さんが撮影のことを伝えていないってことですけど、27才の立派な大人である彼女が、親に『グラビアやるよ』なんていちいち言わないのではないでしょうか。仕事の話には踏み込まないと決めた田原さんをそばで見てきた可奈子さんならなおさらでしょう」 父親のようにビッグに成長してほしい!
2021.03.23 16:00
NEWSポストセブン
ジャニーズの礎を築いた伝説の振付師が選ぶ 歴代ダンスNo.1は?
ジャニーズの礎を築いた伝説の振付師が選ぶ 歴代ダンスNo.1は?
 一面ガラス張りの広いダンススタジオの壁に、少年隊、光GENJI、松田聖子(58才)、さらにはKing & Prince・平野紫耀(24才)ら新旧の有名アイドルの写真が飾られている。その輝かしいアイドルたちと一緒に笑顔で写っているのは、ダンススタジオのオーナー夫妻だ。1月27日放送の『あいつ今何してる?』(テレビ朝日系)で、このオーナーと“再会”したのは、デビュー25周年を迎えたV6のリーダー・坂本昌行(49才)だった。 ゲストの学生時代の友人や恩師のその後を調査するドキュメントバラエティー番組で、坂本はジャニーズJr.時代にお世話になった恩師との思い出を語った。やる気のない態度に「帰れ!」と怒られ、レッスン中に急に始まるオーディションに「実力がないと仕事はもらえない」というプロ意識が芽生えた。「あの厳しいレッスンがいまの自分の礎になっている」 と、坂本は感謝の言葉を述べたのだった。その恩師とは振付師のボビー吉野さん(62才)。妻でダンサーのひろみさんとともにジャニーズの所属タレントのレッスン講師を長年務めてきた。「振付師を始める前、ボビーさんは追っかけもいる人気ダンサーだったんです。ジャニーズ所属の『ジャPAニーズ』という4人グループのメンバーで、田原俊彦さん(59才)のバックダンサーを務めていた。4人ともイケメンでダンスがうまく、なかでもボビーさんはキレのあるダンスで際立っていました」(当時を知る芸能関係者) 少年隊の『仮面舞踏会』、光GENJIの『STAR LIGHT』など数々の名曲を手がけた伝説の振付師。ジャニー喜多川さん(享年87)から「令和もよろしく」と電話を受けるほど信頼が厚く、ジャニーズの礎を築いた1人とも評価されている。 ボビー吉野夫妻はいまもさまざまなアーティストのコンサートの演出やミュージカルの演出など第一線で活躍する傍ら、東京都葛飾区でダンススタジオを運営している。艶やかなロマンスグレーの髪とスラリとしたスタイルのボビーさんと小柄なひろみさん夫妻から見たスターたちの素顔とは──。特にダンスが上手かったメンバー ふたりが直接指導したのは少年隊、シブがき隊からV6のトニセンの3人まで。思春期真っただ中の中高生を中心とした男子の集団となれば、言うことを聞かないわんぱく盛りも出てくる。「いちばん手を焼いたのは諸星(和己・50才)と大沢(樹生・51才)だね。やんちゃで、すぐにふざける。真面目にレッスンをしている子の邪魔をする子がいれば、モノを壁や床に投げつけて怒鳴りつけていました」(ボビーさん) 隣で大きくうなずくひろみさんが振り返る。「ボビーは集中するといっそう厳しくなります。あるとき、ボビーが指導中に話し声が聞こえてきたので、『うるせぇっ! 静かにしろ!』って怒鳴ったらジャニーさんだったの(笑い)。 レッスンを見学に来てJr.の子に話しかけていたんだけど、叱られたジャニーさんは静かにスタジオの隅に移動していました(笑い)」 そんな厳しい指導に耐えたジャニーズメンバーは、いずれもデビュー後はキレのあるダンスでファンを魅了する。ボビーさんのもとを巣立っていった歴代ジャニーズメンバーでダンスがうまいのは、誰だったのだろうか。ボビーさんが明かす。「トータルの見せ方や存在感はトシ(田原俊彦)だね。色気があって1人でステージを埋めることができるからね。どんな曲もうまく見せるのは錦織(一清・55才)。身体能力、技術が高くて幅広いジャンルの踊りをこなせるんだ。東山(紀之・54才)のシルエットは抜群にきれいだったね。自分のスタイルを持っていて動きにキレがあって、格好いい見せ方を知っているんだ」※女性セブン2021年2月18・25日号
2021.02.07 07:00
女性セブン
レイザーラモンRGはなぜ「あの3曲」を選んだのか?
レイザーラモンRGが「田原俊彦の意外な3曲」を選曲をした背景
「BTSはBack to ToShiの略。2021年はバック・トゥ・トシ!」と叫ぶレーザーラモンRGの田原俊彦ブームが終わりそうにない。1月14日、木曜パーソナリティーを務めるSBSラジオ『内山絵里加のふくわうち』の15時台のコーナー『RGのずっと話してたい!』では、2週連続で田原俊彦特集を組んだ。 RGは“全ての起源はトシちゃんにある説”と題し、『It’s BAD』『堕ちないでマドンナ』『イージー・ラヴァー』(フィル・コリンズ&フィリップ・ベイリー)『ラブ・シュプール』と4曲中3曲、田原のシングルを流した。 久保田利伸作曲の『It’s BAD』を「いち早くラップやブラックミュージックを取り入れた曲」と語り、『堕ちないでマドンナ』がインスパイアされた洋楽として『イージー・ラヴァー』も紹介。田原ソングの起源も辿る奥行きの深さを見せた。“トシちゃんソングのオンエアあるある”を挙げれば、デビュー曲の『哀愁でいと』、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した『ハッとして!Good』(ともに1980年)、人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で年間1位を獲得した『抱きしめてTONIGHT』(1988年)などを放送しがちだ。 しかし、RGは『ラブ・シュプール』(1982年)、『堕ちないでマドンナ』、『It’s BAD』(ともに1985年)を選択。いずれも初期と比べて、売上枚数は落ちている。『哀愁でいと』は71.9万枚だったが、1985年の2枚は10万枚台まで下がっていた。 なぜ、この3曲を紹介したのか。“全ての起源はトシちゃんにある説”の証明に適切な楽曲だったことに加え、もう1つ理由があるのではないか。RGは著書でこう綴っている。〈成功した人に対して、成功したこと自体を褒める人は多い。だがその人にとっては、努力している過程こそいちばん頑張った時間で、成功の瞬間はその結果にすぎない。成功した瞬間に人はたくさん集まってくるが、努力している時間は孤独な時間だったはずだ〉(著書『人生はあるあるである』・小学館よしもと新書・2016年10月発行) 1984年にチェッカーズが大ブレイクし、翌年12月には少年隊がデビュー。当時、アイドルの寿命は短く、田原は人気下降線を辿っていた。それでも、洋楽の流行を積極的に取り入れ、ラップもかなり早い段階で採用し、浮上のキッカケを探った。 つまり、苦しい時期にスタッフはどんな手法で乗り越えるか試行錯誤し、田原本人が懸命に表現した。RGは、大ヒットが生まれる過程に目を向けるべきだとも言いたかったのではないか。 田原は1985年の『It’s BAD』を経て、1986年にはシングル、アルバム全ての作詞を阿久悠に任せ、阿久原作の映画『瀬戸内少年野球団・青春篇 最後の楽園』(1987年1月公開)にも主演。“男らしさ”を追求した。 これらの過程が、熱血教師・徳川龍之介を演じた1988年の主演ドラマ『教師びんびん物語』(フジテレビ系)と主題歌『抱きしめてTONIGHT』の大ヒットに繋がった。沈んでいる時に奮闘したからこその成功だった。 思えば、RGの道のりも平坦ではなかった。相方のHG(ハードゲイの略)が2005年にピンで大ブレイク。その傍らで、RG(リアルゲイの略)を名乗り始めたことで、「便乗するな」などと世間からバッシングを喰らった。 だが、めげずに自分の道を探し、“あるあるネタ”を見つけ、独自のポジションを確立した。RGも苦境の末にブレイクした経験を持つからこそ、田原俊彦の大ヒット曲ではなく、どちらかといえば陽の目を見なかった曲にスポットを当てたのではないだろうか。■文/岡野誠:ライター、松木安太郎研究家。NEWSポストセブン掲載の〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉(2019年2月)が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では阿久悠プロデュース期や1990年代後半の苦境期も詳細に綴っている。
2021.01.20 19:00
NEWSポストセブン
レイザーラモンRGはなぜ「あの3曲」を選んだのか?
田原俊彦にハマるレイザーラモンRG あるあるの転機になるか?
 レイザーラモンRGに田原俊彦ブームが到来しているようだ。1月7日、木曜パーソナリティーを務める『内山絵里加のふくわうち』(SBSラジオ)の15時台のコーナー『RGのずっと話してたい!』では、「今マジでトシちゃんブームです」と胸中を語り、『恋=Do!』『チャールストンにはまだ早い』『悲しみTOOヤング』をオンエアした。 RGの得意技といえば、“あるあるネタ”だ。共演者にお題をもらい、ヒット曲に乗せながら「あるある早く言いたい~」などと歌詞を替えて歌い、最後に「~しがち」などとお題の“あるあるネタ”で締める。2009年頃から、このスタイルが好評を博している。 以前『ごめんよ涙』を歌った際に「トシちゃんと声が似ている」と評されたというRGは田原俊彦の曲を「歌っていて気持ちいい。そういう歌が(あるある)ネタに使えると思って」と話し、「毎日、トシちゃんを聞きながら通勤しています」と曲の暗記に励んでいる。自身のツイッターでは、「#トシ練」というハッシュタグを付け、『君に薔薇薔薇…という感じ』『ラブ・シュプール』など連日にわたって、田原ソングを歌う姿をアップしている。ラジオで、韓国の人気グループBTSの話題が出ると、「BTSはBack to ToShi(バック・トゥ・トシ)の略」と返すほどハマっている様子だ。 RGにとって、田原の楽曲との出会いは転機になるのではないか。田原の1980年代のヒット曲は、ディレクターの羽島亨氏を中心に、作曲家の筒美京平氏や編曲家の船山基紀氏など作家陣が“歌って踊って魅せる”ことを常に意識してきた。船山氏は、かつてこう話している。〈トシちゃんみたいに踊れる人には、必ず“決め”をいっぱい作るんですよ〉(2019年11月27日・TBSラジオ『伊集院光とらじおと』) つまり、イントロやサビの直前、ラストなど様々な箇所に“決めポーズ”を入れやすいように曲を構成する。そのため、最後の歌詞を言う前に“間”が置かれることも頻繁にある。『君に薔薇薔薇…という感じ』『NINJIN娘』『シャワーな気分』『どうする?』『ジャングルJungle』などがその部類に入る。 RGがこれらの曲を歌えば、最後に“あるあるネタ”を言う直前、一瞬の間が空いた後にオチに行けるため、今まで以上に視聴者の気を引ける。もちろん、そのパターンは今までも存在しただろう。しかし、田原の歌で統一すれば、1つの軸ができる。 また、“決めポーズ”が多いため、RGにとっては“ネタの見せ場”が作りやすくなるはずだ。たとえば、『抱きしめてTONIGHT』で最後のポーズを決める時、持ちネタである三遊亭好楽のドヤ顔をすれば、ハマるに違いない。 曲中に笑い出す前代未聞の『ブギ浮ぎI LOVE YOU』、〈時間よ止まれ〉と歌った後に本当に数秒間空く『顔に書いた恋愛小説』のように、田原のヒット曲にはエンターテイメント性が含まれている。これも、RGが“あるあるネタ”を歌う時に、大きなフックになるはずだ。“あるあるネタ”が13年目を迎えたRG。田原がデビュー13年目に発売したシングル『思い出に負けない』という言葉の如く、“あるあるネタ”も新たなステージに入るかもしれない。■文/岡野誠:ライター、笑点研究家。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では本人へのインタビュー、野村宏伸など関係者への取材、膨大な資料を緻密に読解し、人気絶頂からバッシング、苦境、現在の復活まで熱のこもった筆致で描き出した。巻末資料では田原の1982年、1988年の全出演番組(計534本)の視聴率やテレビ欄の文言、番組内容などを掲載。
2021.01.13 19:00
NEWSポストセブン
NHK紅白歌合戦の視聴率回復の背景には様々な要因が考えられる(公式サイトより)
紅白視聴率回復を実現させた大御所頼み、昭和ソングからの脱却
 2020年大晦日の『NHK紅白歌合戦』は第2部の視聴率40.3%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)で、2年ぶりに40%の大台に乗せた。新型コロナウイルスの感染拡大による在宅率の上昇でテレビの総世帯視聴率がアップしていたこと、過剰な演出を行わずに歌をじっくり聞かせたことなど様々な理由が考察されている。 それらに加え、裏番組の『第53回 年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京系)と比較すると、もう1つの重要な要素が鮮明になる。演歌を中心に昭和や平成の懐メロが歌唱される『年忘れ』には、かつての『紅白』の顔が続々と登場。紅白への出場経験がありながら、2020年は不選出となった『年忘れ』出演歌手は69組にも上る。その中で、紅白出場回数ベストテンを算出してみよう(※特別出演含む回数。名前横は最後の出場年。『年忘れ』でソロ、『紅白』でグループ出場の場合は、ソロのみカウント)。1位:51回 北島三郎 2018年(特別出演。その前の出場は2013年)2位タイ:39回 和田アキ子 2015年2位タイ:39回 細川たかし 2015年4位:34回 小林幸子 2015年(特別出演。その前の出場は2011年)5位:29回 都はるみ 1997年6位:26回 美川憲一 2009年7位:24回 川中美幸 2011年8位:23回 八代亜紀 2001年9位タイ:22回 水前寺清子 1986年9位タイ:22回 伍代夏子 2015年 ランキングを見ると、30回以上の和田アキ子、細川たかし、小林幸子という大御所が2015年を最後に紅白に出場していない。48回の森進一も同年限りでの勇退を発表した。 この年は、当時紅白史上最低の39.2%(第2部)を記録。40%の大台を割り、2年前の44.5%から5.3%も下落した衝撃は大きかった。そのため、NHKは“ベテラン斬り”の改革を断行したと考えられる。紅白は同年を境に大きく変貌したのだ。 2015年と2020年の全体の曲目を比較すると、その具体的な内容も明らかになる。2015年はトリの近藤真彦『ギンギラギンにさりげなく』、松田聖子『赤いスイートピー』を始め、美輪明宏『ヨイトマケの唄』、和田アキ子『笑って許して』、森進一『おふくろさん』、細川たかし『心のこり』、レベッカ『フレンズ』、高橋真梨子『五番街のマリーへ』『桃色吐息』など20曲も昭和発表の歌だった(藤あや子が2003年にカバーした『曼珠沙華』は含めない)。 一方2020年は、ディズニーメドレーの2曲、郷ひろみ『男の子女の子』『よろしく哀愁』、NHK連続テレビ小説『エール』の企画として『福島行進曲』『長崎の鐘』『栄冠は君に輝く』、松任谷由実『やさしさに包まれたなら』、『守ってあげたい』、石川さゆり『天城越え』、松田聖子『瑠璃色の地球 2020』(昭和61年発売の自身の原曲のためカウント)の11曲が昭和発表の歌だった。 つまり、昭和ソングはほぼ半減している。全曲数(※メドレーは1曲ずつカウント、特別企画などの歌唱含む)から比率を算出すると、2015年は26.3%(全76曲中20曲)、2020年は17.7%(全62曲中11曲)と7.3%減に留まっている。しかし、2020年の昭和ソングは“必然性”を感じられるものだった。 郷ひろみは同年に逝去した筒美京平さんのトリビュートメドレーであり、『エール』は期間平均の世帯視聴率20.1%のヒットドラマである。松任谷由実は2015年以降で最も視聴率の良かった2018年の立役者(同年の歌手別視聴率3位)で、石川さゆりは毎年『天城越え』と『津軽海峡・冬景色』を交互に歌うことで注目を集めている。『瑠璃色の地球』は上白石萌音がカバーしたことでも話題になった。“今歌う意味”を見出せる選曲だったのだ。 歌手別視聴率でも、2020年限りで活動休止の嵐が1位の47.2%、大ヒットアニメ『鬼滅の刃』メドレーを歌ったLiSAが2位の46.6%と“今”を映し出した出場者が上位を占めた。 2015年は「なぜ今この曲を歌うのか」と視聴者が必然性を感じられない場面が多く、全体的な数字が下落したのかもしれない。事実、翌2016年は昭和ソングがわずか4曲と激減した一方で、視聴率は40.2%と回復した。 実は、紅白の“ベテラン斬り”は以前にもあった。1986年に視聴率59.4%と初めて60%の“大台”を割ると、翌年に大改革が行われた。〈過去最低を記録したのを機に演歌とアイドル歌手に偏っているといわれた選考方法を13年ぶりに見直す〉(1987年11月11日・朝日新聞) その空気を察して、事前に辞退を発表した大物歌手が2人いた。当時の最多記録である30回連続出場の島倉千代子は11月5日、記者会見を開いた。〈一昨年、29回目の出場が決まった時、30回を1つの区切りとしたい、と考えた。もし選考に漏れた場合、30回出場という勲章を傷つけることになる、と辞退を決心しました〉(1987年11月6日・朝日新聞) 29回連続出場の三波春夫は、こうコメントした。〈今年の紅白歌合戦はかなり模様替えすると聞いている。引き際が肝心と思い、後進に道を譲りたい〉(1987年11月25日・朝日新聞夕刊 ) 同年11月30日に出場者が発表されると、22回連続出場で紅組司会4度を誇る水前寺清子、計14回出場の千昌夫、計10回出場の研ナオコ、デビュー年から7年連続出場の田原俊彦、2年目から6年連続出場の河合奈保子という常連が選考から漏れた。代わりに、シャンソンの金子由香利、オペラの佐藤しのぶなどが初出場した。 しかし、1987年は55.2%とさらに視聴率が下落。島倉は『人生いろいろ』がミリオンセラーを記録した1988年に返り咲く(田原も同年選ばれるが、出場辞退)。三波、千は昭和が終わって平成が始まった1989年に復帰。研も1993年に7年ぶりに出場した。“1987年の改革失敗”があったためか、以降はベテランを同じ年に一気に切ることはしなかった。だが、2015年に初めて40%の大台を割ったことで、翌年に大御所の複数落選という劇薬を打ったと思われる。その2016年に40.2%と回復したため、彼らの復帰は遠のいた。2019年に37.3%と歴代最低を更新したが、2020年は以前と違ってベテランの返り咲きはなく、数字を戻した。“今”を中心に見せて40.3%を獲得した紅白の世代交代は、さらに加速するかもしれない。■文/岡野誠:ライター。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では1980年代、なぜ紅白の視聴率が下落していったかを徹底分析。1988年、田原俊彦が紅白を辞退した理由も詳細に綴っている。
2021.01.07 19:00
NEWSポストセブン
デビュー40周年の節目にパートナーの闘病
柏原芳恵 事実婚の22才年上夫が白血病患い献身介護の日々
 1980年にデビューした柏原芳恵(55才)にとって、今年はデビュー40周年を迎えるメモリアルイヤーだ。同期に松田聖子、田原俊彦らがいる“アイドル黄金期”に活躍し、80年代を代表するトップアイドルの1人だった彼女はいま、30年前に出会ったパートナーとの絆を改めて感じているのかもしれない──。 1979年、大阪に住む中学2年生だった柏原は、伝説のオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)でグランドチャンピオンに輝き、スカウトされた。 翌年、単身上京し、阿久悠作詞の『No.1』でデビュー。1980年といえば、松田聖子(58才)、田原俊彦(59才)、河合奈保子(57才)らが綺羅星のごとく現れた記念すべき年。そのなかで「柏原よしえ」としてデビューした彼女は、『No.1』で14才ながら、体を艶めかしくくねらせた歌い方で一躍注目された。 1982年、17才の誕生日に本名の「柏原芳恵」に改名し、谷村新司(71才)や松山千春(64才)など、ビッグネームのシンガーソングライターが提供する楽曲路線に挑んだ。なかでも忘れられない名曲となったのが、中島みゆき(68才)が作詞作曲した『春なのに』(1983年)だ。恋人との切ない別れを繊細に表現したこの曲は多くのファンの心をつかみ、『ハロー・グッバイ』(1981年)に次ぐ大ヒットとなった。 ちなみに中島が作詞作曲した楽曲で最も多くトップ10に入るヒットを出したのは、研ナオコ(67才)でも工藤静香(50才)でもなく、柏原だ。「中島さんは芳恵さんに『春なのに』の歌唱法を伝授するほど入れ込んでいました。中島さんから『すべての歌詞が悲しいのではない』と教えられた芳恵さんは、“春”は楽しい、“別れ”は悲しいというように、メリハリをつけて歌うようになりました」(音楽関係者) 1986年10月には、柏原の大物ぶりを物語る、異例の出来事が発生した。かねてから柏原の大ファンを公言されていた浩宮さま(現在の天皇陛下)がリサイタルを訪れ、庭に咲く一輪のプリンセス・サヤコ(バラの花)を柏原に手渡されたのだ。この出来事は、翌日の一般紙とスポーツ紙の一面を埋めた。「そのバラは原色ドライフラワー処理をして、そのままの色と形で保存してあるそうで、芳恵さんにとって“家宝”です」(前出・音楽関係者) 大阪から単身上京して6年、20才になった柏原は両親に5LDKの家をプレゼントするほどの売れっ子となった。「デビュー後はトップアイドルとしてだけでなく歌手や女優、グラビアモデルとしても幅広く活動して多忙を極め、25才のときには自由を求めて突然姿を消したことがあります。そのときは南の島に逃亡したそうですよ(笑い)」(前出・音楽関係者)香港で出会った22才年上男性と事実婚 浩宮さまに見初められたことから、「ロイヤル・アイドル」とまで称された柏原だが、異性関係がゴールに結びつくことはなかった。これまでマスコミから何度も「結婚しないの?」と尋ねられても、現在まで独身を貫いている。「交際報道はたびたびありましたが、彼女の場合は決まって年上がお相手でした。最初の噂は当時所属していたプロダクションの20才ほど年上の社長で、次が1才年上の歯科大生。その後、俳優の宅麻伸さん(64才)とも浮き名を流しましたが、結婚にはいたりませんでした」(芸能記者) しかしその裏には、ある年上男性との長きにわたる禁じられた恋が存在する。1990年、柏原はVシネマの撮影で出かけた香港で、アクション監督兼俳優として活躍していたK氏と運命の出会いを果たした。「Kさんは芳恵さんの22才年上で、出会った頃のふたりは20代半ばと40代後半。その翌年に日本と香港の合作映画『メイプル・オン・ファイアー』の監督と主演女優として再会し、2か月にわたるロケの最中に急接近しました」(前出・音楽関係者) 年齢差をものともせず深い仲となったふたりだが、異国で芽生えた恋には大きな障害があった。このとき、K氏には妻と2人の子供がいたのだ。「Kさんの奥さんは中国籍の女性で、香港での撮影時は親身になって、英語と中国語が不自由な芳恵さんの世話をしていました。芳恵さんも奥さんを慕い、『ママ』と呼んでいたほどです。もちろん奥さんは夫と芳恵さんが男女の関係になったことを知りませんでした」(前出・音楽関係者) その後、事態は急展開を見せた。香港の芸能誌が柏原とK氏の関係を報じ、不倫が妻にバレてしまったのだ。「Kさんは奥さんを見捨てるかたちで、芳恵さんを追い、はるばる日本にやって来ました。芳恵さんも“運命の相手”を受け入れて、ふたりは東京で同棲を開始。突然の不倫略奪同棲は日本でも大きく報じられ、詳細を知ったKさんの奥さんは、『恩を仇で返した!』と芳恵さんを恨んだそうです。その後、Kさんと奥さんは離婚協議を始めましたが、2人の子供のこともあり、なかなかうまく進まなかった。 それに香港の法律では離婚した人は最長で5年間は再婚できない規定があり、芳恵さんとKさんは正式に結婚することができず、事実婚状態となりました」(芸能関係者) 当時、テレビリポーターからたびたび、不倫同棲について直撃取材されたが、ふたりはそれからも揺らぐことなく愛を育み続けた。「ふたりは都内にある芳恵さんの自宅で同棲し、ゴミ捨てをしたことがないという彼女の代わりに、Kさんがゴミを出す姿がたびたび目撃されました」(前出・芸能記者)誰の手も借りずひとりで介護 その後も事実婚を続けたふたりに再び大きな転機が訪れたのは、2015年。70才を超えたK氏が、白血病を患ったのだ。「当時は、芳恵さんが連日通院するので、彼女が病気にかかったのではないか……と噂されたほどです。しかし違った。それはKさんの見た目が変化していたことで明らかになりました。抗がん剤の使用で髪の毛が抜け落ち、以前よりやせたKさんを芳恵さんは甲斐甲斐しく看病しました。 退院時は『ご心配をおかけしました』とふたりそろって近所に挨拶に行くこともありましたが、その後もKさんは入退院を繰り返しました。この頃の芳恵さんは仕事をセーブして、入院時は毎日のように看病に行っていましたよ。 それまで身の回りのことは全部ほかの人がやってくれていたようですから、彼女にとっては初めてのことばかりだったみたいで、それはそれはお疲れのようでした」(ふたりをよく知る知人) それから5年あまり経ち、病状が落ち着いたK氏は現在、自宅療養をしているという。※女性セブン2020年12月3日号
2020.11.20 07:00
女性セブン

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