わたしたちは孤立しているのではなく、つながっている
生まれてからずっと小さな世界で暮らしていたら、人間関係はものすごく濃密なものになるだろう。狩猟採集生活から近代以前の農耕・牧畜社会まで、人類はずっと「濃い関係」のなかで生きてきた。そんな世界を描いたのが中上健次の小説で、あらゆる出来事が「路地」と呼ばれる小さな部落のなかで起きるが、それが神話や伝説と絡みあって巨大な宇宙(コスモス)を形成する。
だがいまでは、こうした小説世界は成立しなくなってしまった。もはや濃密な人間関係がなくなってしまったからだ。
カナダの社会学者バリー・ウエルマンは、その理由をテクノロジーによってひとびとの世界が大きく広がったからだと考えた。徒歩や馬に比べて、電車やバスなどの公共交通機関が整備されればひとびとの物理的な移動範囲は拡大する。明治時代はもちろん戦前までは海外旅行はごく一部の特権層しかできなかったが、旅客機の登場でいまでは(感染症がなければ)誰でも気軽に海外に行けるようになった。
それに加えて、電話やインターネットで世界じゅうのひとと会話やメッセージをやり取りできる。新型コロナの新常態では、Zoomのようなウェブ会議サービスを使って世界各国のスタッフとミーティングしたり、海外の大学の授業を受けたりすることが当たり前になった。
その結果、身近なひとたちで構成されるせいぜい150人程度の世界は、理論的には78億人まで5000万倍以上に拡張した。これは大げさだとしても、Facebookの「友達」の上限は5000人で、認知の上限の30倍以上だ。そのうえネットワークを介した「友達」は世界じゅうに散らばっているのだから、伝統的な人間関係は環境に合わせて変容せざるを得ない。
ウエルマンは、これを「ネットワーク個人主義」と名づけた(*)。そこでは、「村」「学校」「会社」のような共同体に全人格的に所属する必要がなくなり、ひとびとは多様で分散したコミュニティに部分的に所属することが可能になった。その結果、重層的で密着した「濃い」人間関係が減少する一方で、アドホックな(その場かぎりの)人間関係が広がっていく。
【*参考:Lee Rainie and Barry Wellman (2012) Networked: The New Social Operating System, MIT Press】
テクノロジーの進歩によってわたしたちは社会的に孤立するようになったといわれるが、これは現実に起きていることを取り違えている。実際には、わたしたちはより多くのひとたちとつながるようになり、人間関係は過剰になっている。それがなぜ「孤独」と感じられるかというと、広大なネットワークのなかに溶け込み、希薄化しているからだ。
【プロフィール】
橘玲(たちばな・あきら)/1959年生まれ。作家。国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。その他の著書に『上級国民/下級国民』『スピリチュアルズ「わたし」の謎』など。リベラル化する社会の光と影を描いた最新刊『無理ゲー社会』が話題に。
※橘玲・著『無理ゲー社会』(小学館新書)より抜粋して再構成