「公正」な世界を取り戻す闘い
わたしたちはみな、世界を「公正であるべきだ」と思っている。そして「不公正」を感じると、それをなんとかして「公正」なものにしようとする。社会心理学ではこれを「公正世界信念」と呼ぶ。
ここでいう「公正」は、「ルール(道徳)によって秩序が保たれている」ことだ。「不公正」な世界は無秩序(カオス)だから、ものすごく恐ろしい。人間は誰もが無意識のうちに秩序と安全、すなわち公正さを強く求めている。「不公正な世界を公正なものに変える」のはよいことに思えるが、それは「他者の不道徳な行為を道徳的なものに矯正する」ことでもある。公正世界信念を強くもつひとは、事実婚や中絶、同性愛などを「不道徳」と見なしてきびしい態度をとる。
誰もが知っているように世界には不公正なことがたくさんあり、その多く(あるいはほとんど)は個人の努力では変えられない。しかしそれを放置しておくと、無秩序な世界からの脅威につねにさらされることになる。
だったらどうすればいいのか。現実が変えられないのなら、自分の認知を変えればいいのだ。
性暴力の被害を受けた女性に対して、「自分から挑発した」「下心があった」などと炎上することがあるが、この現象は「犠牲者非難」と呼ばれる。キャンプ場から小学校1年の娘がいなくなった事件で、情報提供を求める母親に対し、「親が怪しい」「殺したのは母」などの誹謗中傷がSNSで相次いだのも同じだろう。なんの落ち度もない被害者が救済されないのは公正世界信念に反するため、強い不安を引き起こす。そこから逃れるのには、「じつは被害者に責任がある」と認知を変えて「公正世界」を回復すればいいのだ。
理不尽な世界を「陰謀」によって説明するのもこれと同じだ。ディープステイトであれグローバル資本主義であれ、なんらかの「悪」によって公正な世界が蝕むしばまれていて、自分は「善の戦士」としてそれと闘っているのなら、不気味で不可解な世界は「意味」によって満たされ実存的な不安は消えるだろう。
陰謀論のもうひとつの効果は、「自我への脅威」を軽減してくれることだ。
自尊心についての多くの心理実験は、「ひとは誰もが自尊心をすこしでも高めようとし、それができない場合でも自尊心が傷つくことをなんとしてでも避けようとする」ことを示している。自尊心というのは、自分が社会(共同体)のなかでどれほど受け入れられているかを示す計測装置(ソシオメーター)のようなもので、評判や名声を獲得して自尊心の針が上がると幸福と安心を感じるが、逆にソシオメーターの針が下がると、無意識はとてつもない恐怖に圧倒されてしまう。人類が進化の過程の大半を過ごした旧石器時代では、共同体(部族)から放逐されることはただちに死を意味したのだ。
そのためわたしたちは、自尊心を引き下げるような事態に死に物狂いで抵抗する。ささいな批判に傷ついたり、激昂して攻撃的になることは誰でも身に覚えがあるはずだ。