先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。
仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。
Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。
◆取材・文/細田成嗣(HEW)