Twitterにブロック機能が実装されている以上、誰もがその機能を活用することはできる。SNS上で悪質な誹謗中傷が飛び交っていることも事実だ。とはいえ広く市民の声に耳を傾けるべき立場にある政治家が、批判的意見を遮断するような行為に出ること自体、問題ではないかとの見方もある。その点について、西田准教授は「法的責任」と「道義的責任」に分けて考える必要があると語る。
「法的責任の有無という観点から言うと、おそらく日本では政治家によるTwitterでのブロックが現行法に直接抵触するとは考えにくいのではないでしょうか。ただ、アメリカの訴訟の傾向や学説、判例が、将来日本に影響を及ぼすことはあり得ます。まず学界などで参照されて、その上で国内法にどう関係するか、参考にしたり実際に立法に落とし込んだりする可能性は否定できません。また日本でもマスメディアの退潮が著しいですが、SNSの権威性が高まれば位置づけも変化するかもしれません。
次に道義的責任の有無ですが、これは立場によって見方が分かれます。一方の立場からすると、政治家は徹底的に説明をするべきで、言葉を尽くして国民と対峙するべきだ、そうであるからこそ寛容に、ブロックなど使わず大物然としてドンと構えているべきだ、ということになるでしょう。それは確かにその通りなのですが、他方では河野大臣が言うように、政治家に限らずSNSで政治に関する発言をすると大量の罵詈雑言や誹謗中傷が寄せられるという現実もあるでしょう。女性議員に対する罵詈雑言や誹謗中傷などが問題になったこともありました。それらを防ぐためにブロックが所与の機能として実装されている以上、なぜ政治家だけ使用してはいけないのかということもいえそうです。
道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前)
西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。