社会貢献活動も行っているはるな愛
山田:社会貢献ということでいえば、愛チャンは「こども食堂」をはじめ、子供さんたちにレトルト食品を1万食も寄付するなど、以前から精力的にやっていましたよね。
はるな:私は団地で生まれて、電気もガスも最後は水道まで止められちゃう裕福ではない家で、ろうそくの明かりで毎日、白菜だけをいろいろな味付けにしてもらって食べていたときも「誕生日みたい」と子供ながらに親に気を使っていた記憶があります……。子供って何でもわかってるんです……(涙で言葉を詰まらせる)。コロナ禍になって大人が決めた多くの制限を守って、楽しいことや夢なんかも、みんな奪われて……(涙声)、貧困家庭の実態や、お母さんと子供さんが命を絶ってしまったり、親御さんたちもつらいから弱い立場の子供を虐待してしまったり……というニュースを聞いて、あ、これはヒドい……と。でも、そういうことって、本当は見えにくくて、ニュースになるケースはすごく少ないんだと思うんですね。
コロナ前は毎月1週間、ニューヨークに行き歌とダンスのレッスン
はるな:私は長年、お店をやっているんで思うことなんですけど、飲食店って、食べ物をおいしいって思うことだけじゃなく、空間だったり、ほかのお客さんたちの振る舞いやファッションなんかもそうですけれど、子供たちが大人たちを見ながら、“お勉強”する場所だと思ってるんです。そりゃあ、ほかのお店さんと同じで、コロナ禍での経営は大変なものがあります。
いま、三軒茶屋(東京・世田谷)で3軒やってるんですけど、契約更新ができなかったり、カラオケバーはいま、やっぱりやれなくなっちゃって、テイクアウトのたこやき屋に業態を変えたり。飲食店の在り方というのも変わっていくんだろうなぁって思いますけれど、お客さんが喜んでくれている顔を見るのは私の生きがいのひとつでもあるんです。今回、「パラリンピック」の開会式の後、いとうあさこサン(51才)とか森三中とか、昔、私の店で「売れたいね」「成功したいね」って言いながら朝まで一緒に飲んでた人たちが、みんな喜んで連絡くれたのもうれしかったです。ずっと、かわいがってくれて、テレビで見ているまんまに接してくださった志村けんさん(享年70)に見ていただけなかったのは悲しいですけれど。
山田:愛チャンは、またすごく大きな目標を見つけちゃいましたね。
はるな:実は4年前から、事務所に毎月1週間お休みをいただいて、ニューヨークに歌とダンスのレッスンに行ってたんです。アポロ・シアターのオーディションも受けました。コロナにならなかったら続けられたんですけど、それでも、いろいろな場所で出会ったかたたちとつながって、恵まれて、いまの私があるのは事実です。