「私も以前は閃き型の超人探偵が好きだったんですが、最近は自分が実社会で働いている影響もあるのか、月寒はそれとはかなり異なりますよね。今後の関係もあることだし、無理な捜査はやめとこうみたいな(笑い)。
実は今年出た初長編『雨と短銃』を書く前に、国内外のハードボイルドを一通り猛勉強したんです。なかでも影響を受けたのがロス・マクドナルドのリュウ・アーチャー物で、別名観察者とも言われるくらい、足を使って人に話を聞き、少しずつ真相に近づく名探偵も面白いなあって。
そのロス・マク熱が未だ冷めなくて、天才肌というよりは相手に寄り添い、大小様々な事情を聞き出す、聞き上手で人間臭い月寒を書こうと。そうした造形が満洲の功罪から人々の日常まで、多面的に書き込める効果を生んだ気もします」
そもそも自分は昭和も知らない
晩餐会には義稙の義弟で哈爾浜高等工業学校教授の〈雉鳩哲二郎〉や、義稙の恩人の娘で同家に居候する白系露人薬剤師〈ヴァシリーサ〉、関東軍の出入り業者〈猿投半造〉ら、6名が出席。また使用人もシベリア出兵時の元副官で家令の〈秦勇作〉を筆頭に、料理人の〈駒田源三郎〉やロシア人メイド〈リューリ〉、満人運転手の〈孫回雨〉に蒙古人用人〈ネルグイ〉と計5人が働き、当主が信奉する〈五族協和〉の理念をまさしく具現化していた。
そして毒は料理ではなく、食後に供された〈波蘭土の『オダヴォガ』というウオツカ〉に混入されたと月寒が確信を得た矢先、今度は砒素を使った第2の事件が小柳津家を襲うのである。ちなみに岸や椎名以外はほぼ架空の人物だが、背後に漂う空気感は全て本物。
「例えば岸や関東軍が阿片の利権に関与していたのはほぼ事実らしいんですが、本人は当然否定しますよね。義稙のような元長州軍閥の英雄が絡んだ証拠もありません。でも何があってもおかしくないのが、盧溝橋事件から1年が経ち、事態が泥沼化しつつあった、当時の満洲だと思う。
『3つの太ヨウというのも大陸進出後、満鉄の敷設も担った鹿島建設の作業員が、上からの日差しと下からの照り返しに灼かれ、熱中症に苦しんだと、記述が残っているんですね。
そんなふうに、あ、これは使えると思ったトピックを積み重ねた中に謎を構成し、あと、私は哈爾浜どころか日本から一歩も出たことがないので、当時の街路図を国会図書館で手に入れたり、小柳津邸に関しては三宮の異人館を見に行ったりして、何とかそれらしい街並みや間取りを再現しました」