そもそも昭和も知らない自分が、満洲というただでさえセンシティブな問題をエンタメにしていいのかという葛藤は、執筆中、常にあったという。
「この頃の満洲はギリギリまだ平和でしたけど、書く以上は調べうる限りを調べ、相応の知識や覚悟が要る。そこまでさせる磁場や魅力が満洲にはありましたし、いずれは戦争やその痛みを書くことにも挑めるよう、確固たる実力や実績を積み上げることが、今の私の目標なんです」
あくまで作話的興味から歴史を知り、知見を深める、彼なりの関わり方を誰が否定できよう。表題が示す通り幻と現のあわいをゆき、〈松花江〉、〈打刻印字器〉等、多用されたルビとの隙間にすらきな臭さやダブルスタンダード性を感じさせる満洲は、確かに物語を生む余地や余白に満ち満ちていた。
【プロフィール】
伊吹亜門(いぶき・あもん)/1991年名古屋市生まれ。同志社大学卒。在学中はミステリ研究会に所属。2015年、「監獄舎の殺人」で第12回ミステリーズ!新人賞を受賞。これを連作化した『刀と傘 明治京洛推理帖』で2018年にデビュー。翌年第19回本格ミステリ大賞を受賞した他、「ミステリが読みたい!2020年版」国内篇第1位に。長編『雨と短銃』も好評。「岸信介を書いたのは満洲には欠かせない人物だからで、現政権を批判する度胸は私にはありません(笑い)」。171cm、78kg、B型。
構成/橋本紀子 撮影/朝岡吾郎
※週刊ポスト2021年10月1日号