靴の工房を出て2階のアトリエへ階段を降りながら、餃子屋にいた“おっさん”を思い出した。2年ほど前のどんより曇ったある日、知り合いに誘われ四谷の餃子屋に行った。久しぶりの外食だったこともあり、高揚感と共に腹を満たし、店を出ようとした時、背中越しに小声で「餃子食う暇があるなら、靴作れよ」と言う声が聞こえた。誹謗中傷に慣れている僕でも経験のない言われ様で、暖簾を潜りながら、あまりにバカらしくて笑ってしまった。
内心、“西さん”がいる時に絵を描くと、「絵を描く暇があるなら靴を作れ」という聞き飽きた記事を書かれそうな気がして迷ったが、工房での過ごし方は“俺”が決める、と言い聞かせた。アトリエで作業を進める内に、ふと工房内の西さんの表情を思い出した。
西さんが、靴づくりに飽きてきていることは少し気がついていた。「もともと、飽き性なんです」と言っていたことも思い出した。何か、新鮮な作業もさせてあげたいものだが、まだ次の段階に行けるほど基礎が身についてはいない。
工房での日々は大きく代わり映えすることはなく、毎日が同じことの繰りで、それを積み重ねていくしかない。ましてや初心者の頃は、つまらない作業をひたすら続ける他ないのだ。西さんが靴職人として生きていくわけではないことは分かっている。あくまでも取材の一環として靴作りをしているわけだが、これも出会いだ。少しでも、靴作り自体を好きになってほしいのだ。
帰り道、唐突に「靴作り、飽きてきましたか?」と聞いてみた。
「工房が遠くてちょっと辛いな、と思うぐらいです」
と、西さんは答えた。続けて、「でも、少しだけ慣れてきて、前よりは楽しくなってきました」と言った。曖昧な答えの中に、西さんの本音と気遣いを感じて、僕は純粋に不安になった。
■取材・文/花田優一(靴職人・タレント)