医療用麻薬で疼痛を和らげる
片道1000キロ 最後の大切な旅路
午前1時、寝静まった住宅街をシルバーのセダンが広島に向けて出発した。高崎から片道約1000キロの長旅となる。
助手席に身を沈めた松野さん。藍色の空が広がる高速道路の先を見つめながら、つぶやいた。
「夢のようだ。こうやって旅に出るなんて」
ハンドルを握るのは敏和さん、後部座席には妻の泰子さんが見守る。トランクには10本の酸素ボンベ、がんの疼痛を和らげるモルヒネ薬(オプソ)も十分に用意した。車内には、松野さんの呼吸音だけが響く。そのリズムが時々途絶えた。
「父さん、息してる?」
敏和さんが助手席に声をかけると、松野さんは大きな目をギロリと光らせ、無言で応えた。
出発から12時間後、松野さんたちは広島に到着した。
「息子の敏和が社長になりますので、どうぞ今後ともお引き立てをお願いします」
酸素ボンベを引きずりながら、松野さんは業界団体の関係者に後継者を紹介して回った。がん特有の疼痛は、そんな時も容赦なく襲ってくる。身の置きどころがない、嫌な感覚だ。
松野さんは会場の片隅でスティック状のモルヒネ薬(オプソ)をくわえて飲み込む。竹田医師が処方した即効性が高いタイプの鎮痛薬である。一息つくと、息子を連れて再び人の輪に戻っていった。 旅を終えて1週間後――松野さんは自宅のベッドで家族に見守られながら穏やかに息を引き取った。緩和ケアは、薬でがんの痛みをとるだけではない。患者や家族の思いを支えることも、大切な役割なのだ。