最期の瞬間まで自分らしく生きる
「これまで、ありがとうございました。先生のお顔は忘れません。だから私の顔も忘れないで下さいね」
元銀行マンの外山雄一さん(当時94歳)は、痩せ細った両手を差し伸べて、小笠原一夫医師(いっぽ前院長)の手を力強く握りしめた。死期が近いことを悟り、患者自ら医師に別れを告げたのだ。
「僕はお会いするたびに、励まされてきました。長い間ありがとうございます」
静かに微笑んで、小笠原医師はそっと手を握り返した。 84歳の時に胃がんの手術を受けた外山さん。胆嚢が閉塞してしまい、胆汁を排出する胆道ドレナージ(チューブ)を右腹に設置していた。
その管理などを「いっぽ」が8年越しで担当。妻が誤ってチューブを切断した時は、看護師が緊急で駆けつけて乗り越えたこともある。
外山さんが在宅を選んだのは、地元の群馬交響楽団の活動や、子供たちを対象にした読み聞かせのボランティアを続けたかったからだ。 また、「出征旗」や「千人針」などを見せて、学徒出陣した当時の記憶や戦争の悲惨さを語ることもあった。 病状は一進一退を繰り返しながらも、緩和ケアによって外山さんは活動を継続することができた。
外山さんの2人の娘は独立して、高齢夫婦の2人暮らし。それでも、自宅で過ごせたのは、24時間体制の訪問診療や訪問看護の支えがあったからではないだろうか。
「いっぽ」が夜間に緊急訪問する回数は、年間約600回。理由は多い順に「看取り」「痛み」「息苦しさ」「発熱」「嘔気、嘔吐」だという。
「銀行員時代は、いつもピリピリして厳しい人でした。幼い頃は父が嫌いでしたが、病気が進行するにつれて、仏のようになっていきました。ずるいですよね」(外山さんの次女)
車イスに外山さんを乗せて、近所の桜並木を歩いた時のこと。何気ない呟きが次女の耳に入った。 「来年の桜は見られないかもしれないなあ」
その翌月、外山さんが吐血、悪心などを訴えたことから、小笠原医師が訪問した。パジャマをめくると、皮膚が完全に黄色くなっている。黄疸といわれる症状だ。
「気持ちが悪いのをとる薬がありますけど、外山さんは眠ってしまうのは嫌ですか?」
「ええ、最期の瞬間まで元気でいたいという意地がありますからね」
外山さんが明確に意思を示したので、小笠原医師は鎮静薬を使わないことに決めた。
翌日、窓際に置かれたベッドの上で外山さんは94年の生涯を終えた。