こうした濱田岳の“表情”は、ドラマ内の三角関係における不倫相手だけでなく、妻とのシーンでも視聴者に訴えかけるものがあるようだ。あまのさき氏が続ける。
「徐々に明らかになってきた妻・麗への、ある意味劣等感とも思われる感情の表出のさせ方からも、濱田さんの器用さが感じられます。
例えば、第3話のラスト、雨の中で怜子の思いを拒絶するシーンがありました。そこには、これまでコミカルさの影に鳴りを潜めていた雅也の“じゃない方”として生きてきた人生の歴史が垣間見えたように感じます。
おどけず、真剣な表情で『そんな風に僕のことを思ってくれる人なんていないんだよ。それはずっと前から知ってるの』と言葉を紡ぐ姿は、雅也が初めて見せる一面。ここで雅也という役にぐんと奥行きが増し、感情移入できるようになった視聴者も多かったのではないでしょうか。
また、第5話の麗との馴れ初めを回想するシーンからは、雅也がこれまで抱いてきた劣等感が輪郭を持ちはじめます。大事にしている家族、麗にとってすらも、雅也は“じゃない方”だった……こんな繊細な裏側が隠されていたとは、正直言って想定外でした」
予想外の物語展開を見せる『じゃない方の彼女』。そんなドラマの中で、濱田岳の演技は二面性を器用に使い分けることで視聴者を釘付けにする。こうした演技力こそ濱田岳の持ち味だと、あまのさき氏は指摘する。
「怜子に心を奪われていくコミカルさ、“じゃない方”の哀愁を醸し出す表現力。この二面性を同居させながら雅也というキャラクターに説得力を持たせられるところこそ、濱田岳が濱田岳たる所以なのではないでしょうか。
同世代の俳優が群雄割拠する中でも確かな立ち位置を確立する濱田さんだからこそ、企画・原作の秋元康さんが描きたかった“じゃない方”側の人間への愛おしさが表現できているように感じます」(あまのさき氏)
不倫と笑いという、一見すると相反する要素を一つの作品の中で溶け合わせた『じゃない方の彼女』。ドラマの展開に視聴者が「ハラハラドキドキ」してしまうのは、主演を務めた濱田岳の力量も大きいのではないだろうか。
◆取材・文/細田成嗣(HEW)