「実は美智さんとお仕事でご一緒するの初めてなんです!」(寺田さん)
山田:何年になりますか?
寺田:2012年なので9年になります。主人の場合は、何の前触れもなく突然、しかも自宅で倒れてしまって、それきりでした。ただ朝から具合が悪そうだったので「病院、行ったら?」と言ったんですが、「いや、仕事があるから」と準備のため階下に下りていったんです。でも、また上がってきて「大事なことを忘れた」とハグしてきたんです。美智サンの本のタイトルではありませんけれど、その頃、ウチではもう、ハグなんてそんなにはしていなかったので、どうしたの? 何かおかしいと思っていたら、その後、シャワー室で……。
山村:突然というのは、ご本人は痛い思いをせずに逝かれたのだと思うけれど、残された理恵チャンは本当につらかっただろうと思っていました。結婚生活は何年でしたか?
寺田:12年です。私、主人が亡くなってから、しばらく、外に出られなかったんです。1年半ほどが過ぎたとき、人を介して(現所属事務所会長の)生島ヒロシさん(70才)から声をかけていただいたんですけれど、「どうしよう。ママ、行けない」って娘に打ち明けたことをいまでも覚えています。そうしたら娘が「ママ、行ってらっしゃい」と背中を押してくれて、なんとかアナウンサー復帰したんです。でも、人に会うのは怖かったですね。
「ナナハグ」と「毎日音読」で前を向いて
山村:そんな理恵チャンには、6年前、城ヶ崎(祐子)サン(66才)と益田由美さん(66才)の還暦パーティーで会って、「これからは外に出て、一緒にいろんなことやろうよ」と声をかけたことを覚えています。
でも、自分の身に降りかかって思うのは、夫を亡くすということは、自分の想像を遥かに超えてつらいことだらけで、愕然としました。もう1年、まだ1年。この数か月はさすがに毎日号泣ということはなくても、プラタナスの葉が色づいてきたり、それが風に舞ったりしているのを見ると、ワーッて泣き出してしまいます。
寺田:わかります。私はイチョウなんですけど、美智サンも本に書かれていましたよね? 前日までキレイだなと思って眺めていたイチョウ並木の黄葉や鮮やかな青空が、主人が亡くなった途端モノクロームになったんです。あと、クリスマスツリー。思い出してしまってダメなんです。
山村:街が黄色に色づくのは本当に嫌ですね。病室からの景色や、病院の帰り、ひとりで運転して、朝に預けた犬をピックアップして、真っ暗な自宅に戻るわびしさと悲しさに重なってしまいます。
山田:それでも、おふたりは大きな一歩を踏み出された。各々の新刊は、アプローチは異なれど、多くのかたに前を向いていただけるなと思いました。寺田サンの『「毎日音読」で人生を変える—活力が出る・若くなる・美しくなる』(さくら舎)は寺田サン自身が支えられたという「音読のススメ」ですよね。