あっさりと引き継がれた「22」「24」
横浜の『17』は、斉藤が引退した翌1994年から7年目の盛田幸希(1986年ドラフト1位)が背負った。1992年に最優秀防御率を獲得した盛田はその後もチームに欠かせないセットアッパーとして活躍したが、1997年オフに近鉄にトレードされる。その後、矢野英司や加藤武治、2010年にはロッテから移籍の清水直行、2013年から三嶋一輝が付けている。
「偶然かもしれませんが、斉藤、盛田、加藤、三嶋と横浜の『17』はリリーフのイメージが定着している。ただ、平松の『27』や遠藤の『24』、大魔神こと佐々木主浩の『22』はもっと上手な引き継ぎ方があったのではないかと思います」
平松が引退した年、3球団競合の末に竹田光訓がドラフト1位で入団すると、球団は『27』を授けた。しかし、4年で1勝しか挙げられずに退団。“27番=エース”というイメージは薄れた。1992年限りでチームを支えてきたエースの遠藤一彦が引退すると、誰が24番を引き継ぐか注目されたが、翌年の開幕直前にトレードで西武から移籍してきた森山良二があっさりと付けた。日本一を達成した1998年のMVPに輝いた『22』の佐々木主浩が翌年オフ、メジャー挑戦を表明。直後の2000年、新外国人のベタンコートが22番を付けている。
「平松の『27』のように、いきなり新人に背負わせてプレッシャーになる場合もある。偉大な番号は、空けておく手もあったはず。しかし、球団はすぐに誰かに付けさせた。1990年代以降、背番号の作る歴史をあまり意識していなかったのかもしれません。チームの強さとは直接は関係しないのでしょうけど、やはり寂しさを感じるファンもいたと思います。遠藤の『24』、佐々木の『22』は特別でしたから」
DeNAになってから意識が変化か
TBS経営時代には、生え抜きのスターが背負った番号をFA移籍してきた選手に授けることも目立った。左のエースとして通算101勝を挙げ、最多勝にも輝いた野村弘樹が2002年限りで引退すると、オフにダイエーからやってきた若田部健一が『21』を付けた。2000本安打を達成した石井琢朗が広島へ移籍すると、オフに阪神から獲得したキャッチャーの野口寿浩が『5』を背負った。野口が2年で退団すると、またしてもFA移籍の森本稀哲に引き継がれた。