ストイックで寡黙な走り、時に泥酔も
しかしライコネンは、速いけれど、不運が付きまとうドライバーでもあった。マクラーレンの車が速くて壊れやすかったからだ。トップ走行中のファイナルラップでリタイアすることもあったし、ファステストラップを乱発するも、当時はポイントにつながらなかった。優勝かリタイアか──その悲劇性が、ライコネンのストイックな走りを際立たせたと思う。
そして、そんな厳しい状況が続いても、2歳まで話さなかったというライコネンは寡黙だった。レース後のコメントはいつだって簡潔で、走り同様、フェアだった。2007年、フェラーリに移籍してマクラーレンとチャンピオン争いをしていたとき、ルイス・ハミルトンを口撃するフェラーリ寄りのジャーナリストに全く同調せず、どこ吹く風だったと自伝には書かれてある。
自分はただ速く走りたいだけ。そのための努力は惜しまないが、F1にうずまく政治には背を向け、高い人気に感謝はするが関心はない。鈴鹿で入り待ちをしていても、ベッテルやハミルトンは愛想よく手を振ってくれるが、最もファンが歓声を挙げるライコネンは素通りしていく。その清々しさにますます心を持っていかれるファン心理とはなんだろう。
とりわけフェラーリ時代、サーキットに行くと、ライコネンのウエアやグッズを身に付けているファンは男女ともに圧倒的に多かった。世界中にファンがいることはすでに書いたが、日本での人気も高く、かつ熱心なファンが多かったと思う。ライコネンの記念切手が売り出されたとき、フィンランドの切手にもかかわらず日本から「記録的な数字」の注文が入ったとフィンランドのF1記者のヘイキ・クルタは綴っている(『アイスマン キミ・ライコネンの足跡』)。
ひとたびサーキットを離れると、酔っぱらってモナコのクルーザーから落ちたり、バーで泥酔する写真をパパラッチされたりもした。スポーツマンとしてはひんしゅくを買う行動かもしれないが、レース時のクールな姿とギャップのある突っ込みどころ満載な姿を、何より「己の心のままに生きる」姿を、むしろファンは愛したと思う。子どもが生まれてからは家族でサーキットに出勤し、良きパパの顔を見せた。
そういえば、知り合いライコネンファンは、ライコネンが得意としたスパに応援に行き、ライコネンの母親・パウラさんに遭遇したという。パウラさんはパドックではなく観客席で、一般客に交じって息子を応援していたそうだ。素朴で気さくで家族思い、そしてレースを愛するライコネンの原点を垣間見るこのエピソードが私は好きだ。