よい景色を見せてあげたい
藤井に王将リーグで勝ったことでモチベーションが復活した永瀬はすぐに結果を出した。昨年12月に棋王戦五番勝負の挑戦権を獲得したのだ。2月から渡辺棋王と対峙する。自信について聞くと「トリプルスコアなんですよね」と苦笑した。対戦成績は永瀬が5勝、渡辺が16勝と差がついている。非公式のレーティング(※)ではさほど差がないのだから、負けすぎという見方もある。
[※非公式のレーティング/将棋棋士の棋力(強さ)を表わす指標の一つで、棋力を客観的に測るために数値化したもの]
「番勝負の経験の差と、ここ一番の勝負強さが違います。名人はタイガー・ウッズみたいな方だと思っているので」
具体的には「相手の将棋の弱点を見抜く力に長けています」。厳しい戦いになりそうだが、永瀬は微笑みながら言う。
「トップ棋士の中では自分がいちばん弱点があるんですよ。逆転負けも多いですし。多分、そこを突いてくるでしょうから、楽しみですね。明確になった弱点を埋められればもっと上に行けるので」
永瀬の近い目標は棋王戦だが、遠くない未来に藤井とタイトル戦で相まみえることになるだろう。その時、藤井はタイトルをいくつ持っているのか。将棋界は4強が崩れたと見る向きもあるが、永瀬はどう思っているのか。
「藤井さんが飛び抜けているのは事実ですが、トップ棋士に負けることもあります。今後、タイトル数を増やしていく過程で防衛戦もすべて勝てるか。藤井さんのタイトル戦の高勝率はもちろん知っていますが、トップ相手に4連続の防衛戦を持ちこたえるのはさすがに大変でしょう。全部勝てば文句なく一強でしょうね。年末に四冠を維持、もしくは五冠になっていたらすごい。自分が将棋を覚えてから五冠王を見たことがないので」
将棋界最後の五冠は羽生善治九段で、2000年のことだった。さすがの永瀬も、現状は藤井一強とは見ていない。
「藤井さんが昨年の棋聖就位式で『強くなることで、盤上で今まで見えていなかった新しい景色を見たい』という趣旨のお話をされていました。だから自分がもっと強くなれば藤井さんによい景色を見せてあげられると思う。何とかお供できるように実力をつけたいです。自分は対藤井戦を一番経験しているので、恩返しがしたい」
取材の最後に、永瀬は「藤井さんの存在があって幸せです」としみじみ語った。
「自分もタイトルを獲得するところまで来ましたが、さらに上の目標があるって嬉しくないですか。先を行く人がいるから追いつこうと頑張れる。でも目の前に誰もいないのに、藤井さんはどんどん前進しているんですよね」
永瀬はそう言って、遠くを見るような眼をした。29歳の永瀬と19歳の藤井の関係は、「強敵」と書いて「とも」と読ませる少年漫画のようだった。2人の戦いは始まったばかり。着点は誰も想像できない場所にある。
(了。前編を読む)
【プロフィール】
大川慎太郎/将棋観戦記者。1976年生まれ。出版社勤務を経てフリーに。2006年より将棋界で観戦記者として活躍する。著書に『証言 羽生世代』(講談社現代新書)などがある。
※週刊ポスト2022年1月28日号