その後も進化は止まらない。同年の世界選手権で初優勝すると、翌2015年には歴代最高得点を更新してグランプリファイナルを3連覇した。一般の若者なら遊びたい盛りの20才前後の時期に、自宅とリンクを行き来するだけの生活を送った。見かねたオーサーコーチが、雑誌のインタビューでこんなことを語ったほどだ。
「劇場に行くのもいいし、もっと人生を楽しんでほしいと思うんです。休みらしい休みを取ったこともないかなと思うので、もっと冒険を追求するかたちで人生を生きてほしい」
それでも羽生の「スケート・ファースト」の生きる道は揺るがなかった。
「“ムダな時間”を過ごしたことがあるのかな?って思います。だけど、普通の若者がやるようなことを“諦めた”のではなく、スケートを超えるものに出会わなかったのではないでしょうか。私もスケートは大好きだけど、彼のスケート好きにはかないません」(高橋さん)
そんな羽生に、スケートの神様は試練を与える。平昌五輪を目前に控えた2017年11月、NHK杯の公式練習中に転倒し、「右足関節外側じん帯損傷」と診断された。当初は3〜4週間ほどで元に戻るとの診断だったが、腱と骨にも炎症があったため、回復に時間を要した。
そして、その3か月後の2018年2月、痛み止めをのみ、ぶっつけ本番で臨んだ平昌五輪の舞台。ショートプログラムですべてのジャンプを完璧に決め、フリーでは演技構成点トップを叩き出し、2大会連続の金メダルを獲得した。この偉業は海外メディアでも大きく取り上げられ、羽生は世界のスーパースターの地位を不動のものにした。
帰国後、地元仙台で行われた凱旋パレードでは、約10万8000人が祝福し、個人では史上最年少となる国民栄誉賞も受賞した。大会後のインタビューで羽生はこう語っている。
「(金メダルは)いろんなものを犠牲にして、がんばってきたごほうび」
(第5回に続く)
※女性セブン2022年2月17・24日号