周到に準備して喧嘩を仕掛ける
中国人らは4時間ほどAをいたぶると、置き去りにして出て行った。Aを救出したのは仲間の友人らだ。1度目に拉致され解放された後、彼は仲間に連絡し状況を伝えていた。友人らは、再び連絡が取れなくなった彼の身に何が起きたのかをすぐに理解し、駆けつけたのだ。危険を察知した友人らのおかげで、Aはアジトから逃げることが出来た。
「病院に急行すると、その場で集中治療室に運ばれました。腕の骨と肋骨が数本折れており、全身打撲で全治2か月の重傷だった」
彼らの犯行の手口について、Aが続ける。
「やつらのやり口は、まず数人でターゲットを拉致し、さらって車に押し込んでから手足を縛り、移動中も殴り続ける。車内のため道具は使わなかった。アジトなどで拷問する場合、使うのは主に鉄パイプ。だが相手を殺しはしない。死なない程度に痛めつけるんだ。喧嘩ではナイフだけでなく、青竜刀という半月型をした刀を持ってくることもあって、切りつけられた仲間もいた。拉致でも喧嘩でも用意周到に準備していて、抗争の時は若いメンバーが2~30人規模で動いていた」
Aは退院後、警察に被害届を提出した。しかし今度は、警察に逮捕されることを恐れた怒羅権のメンバーらが、被害届を取り下げさせようと彼の友人や家族を狙い始めた。関係ない人間にも危害が及び始めたことを危惧したAは、ある人物に仲裁に入ってもらったという。
「警察に被害届を出したところで、すぐには動いてくれなかった。俺たちが昔、やんちゃしていたこともあるんだろう。かえって自分の家族や友人が危なくなり、仲裁を頼まざるを得なくなった。やつらも警察に目をつけられるのは嫌だったから、いくつか条件を呑ませた上で、被害届を取り下げた」
Aはとりあえず和解という形をとり、彼らと手打ちにしたのだ。
「当時のやつらはヤクザ化していたが、その手口はヤクザよりひどかった。半グレなどと呼ばれたが、半分どころか完全にグレていた。二度と関わり合いたくない」
冷ややかにそう語ったA。その後、怒羅権のメンバーとの間にいさかいやトラブルは一切ないという。