拠点は赤坂のショーパブ
JPにとっての“居場所”
──小学生の頃は松本さんの“ごっこ遊び”を披露して笑いを取っていたと。
JP:いや、僕は基本的にネクラでインキャ、カオスな人間なんです。だからあんまり人前でやることはなかった。地元が滋賀県なんですけど、関西なのでやっぱりクラスには人気者がいるんですね。僕はそういう人気者タイプではなくて、掃除用具入れの前でネタをコソコソやる怪しいヤツみたいな。世間とズレていることに喜びを感じていたので、ちょっと変わった少年時代でしたね。
赤坂ノーブルはみんなで作った「家」みたいなもの
──なるほど(笑)。しかし今やモノマネ芸人としてデビューしてから19年間、人前に立ち続けていますよね。活動を継続する上で支えになった人はいましたか?
JP:やっぱり芸人仲間が支えになりましたね。周りで大変な思いをしながら売れていった人たちがたくさんいたんです。僕が働いているショーパブだと、ミラクルひかるさんや芋洗坂係長、それとジャガーズさんというジャニーズのモノマネをやるコンビなんかがいて、そういう人たちの人生が変わる瞬間を横で見てきた。だから頑張っていればいつかは自分にもその順番が回ってくると思っていたし、神様は見てると信じることができました。
あとは応援してくださるファンの方。特に男性の方にお世話になることが多いんですが、「お前はオモロイから大丈夫やで」と言われたことが支えになっています。
クラスの人気者タイプではなかった
──赤坂ノーブルというショーパブを拠点にしていたからこそ、そうした芸人仲間と巡り会えたとも言えそうです。
JP:そうですね。赤坂ノーブルは“めるも”というママと一緒に14年前に立ち上げた場所なんです。といっても僕はただのアルバイトでしたけど、でもみんなで作った手作りのお家みたいなところがある。『北の国から』で黒板五郎(田中邦衛)が建てた石の家みたいな。だからノーブルに帰ってくるとホッとするんです。それはとても大事だなと。自分はここから始まったと思える場所があるのは幸せなことだし、恵まれているなと思います。
【前後編の後編。前編を読む】
◆取材・文/細田成嗣(HEW)、写真/山崎力夫
芸人仲間が売れていく姿が励みに
ファンの言葉も支えになった