百恵さんは初孫に恵まれた(写真は2022年1月)
離乳食作りをした友和
出産を控えた“娘”のために百恵さんが何より大切だと考えているのは夫である祐太朗のかかわり方だ。
「“本当の意味で彼女を支えてあげられるのは、祐太朗だけなのよ”と、叱咤したようです。三浦家の『男も家事育児に積極的に参加する』という家訓は当然のこと。それを“やってあげてる”と思ってはいけない、当然のこととしてやりなさい、と。そして子育てへの参加だけではなく、彼女を母ではなく妻としてしっかり大切にしなさいと強くアドバイスしたようです」(前出・百恵さんの知人)
人気絶頂にあった百恵さんは友和と結婚し、家庭に入るために1980年に芸能界を引退した。当時はまだ家事や育児は女性が行うのが当たり前とされ、夫がゴミ出しや料理をしようものなら、「男にそんなことをさせたら、出世できない」といわれるような時代だった。
「それだけに百恵さんが一切の家事育児を担うものと思いましたが、フタをあけると全然違いました。祐太朗さんが生まれると、友和さんはおむつ替えや入浴、離乳食作りなど、あらゆる育児に積極的に取り組みました。自ら育児書を手に取って、祐太朗さんがよく食べる離乳食レシピを研究したりもしていたそうです。次男の貴大さん(36才)が生まれたときも同じで、友和さんは“当たり前のこと”として家事や育児をこなしていました」(三浦家の知人)
そんな家庭で育った2人の息子は、大人になってから「料理は女性がするもの」「男性は外に出て稼ぐもの、女性は家にいてそれを支えるもの」という考え方の男性がいることを知り、驚いたという。
「祐太朗さんは“家族サービス”という言葉にも違和感があったそうです。三浦家では友和さんが学校行事に参加したり、休日には子供たちを連れて公園に遊びに行っていましたが、それは家族への“サービス”としてやっているのではなく、家族みんなで一緒に楽しむため。そんな父親の自然な思いを祐太朗さんは肌で感じながら育ってきたんです」(前出・三浦家の知人)
そして、今度は祐太朗が父親になる番がやってきた。
「百恵さんは、祐太朗さんに家事や育児を“手伝う”のではなく、“なんでも一緒にね”と父として男としての心得を改めて伝えたそうです」(前出・百恵さんの知人)
祐太朗と牧野は、昨年夏、都心のタワーマンションに引っ越した。
「賃貸契約だそうですが、将来は生まれ育った東京・国立に戻って、両親の近くに住むことも考えているようです。彼は『国立市観光大使』を務めていることもあり、地元に対する愛着が人一倍強いですから」(前出・三浦家の知人)
百恵さん夫妻が国立市に家を建ててから30年以上の月日が過ぎた。その間、友和の両親を同じ敷地内に呼び寄せ、百恵さんは長年にわたって義父母の生活を支えてきた。
「両親と祖父母の関係を間近で見てきた祐太朗さんには、両親と子供夫婦が一緒に暮らすのは当たり前、という感覚があるのでしょう」(前出・三浦家の知人)