天才肌の長嶋茂雄には荒川道場は水が合わなかったようだが、それでもやはり“練習の虫”だった。
「チョーさんもワンちゃんもとにかくバットを振った。チョーさんは遠征先の試合でタコ(ノーヒット)だったりすると、旅館に戻るなり廊下でユニフォームを脱いで素っ裸になってスイングを始める。“土井、ふすま外せ、黒ちゃんバット持て”と言って始める。ONがやるんだから、ボクたち雑魚もやらないといけないという気持ちにさせられた」(黒江)
熾烈な競争があるだけに、戦力になるかは非情に判断された。城之内も晩年に力が落ちると、冷遇された経験を持つ。
「8年目(1969年)に腰を壊して4勝。9年目は7勝で、勝負となる10年目でしたが、米国キャンプのメンバーから外れ、都城の二軍キャンプに行かされました。シーズン中に一軍へ上がっても敗戦処理ばかり。トレードでもいいからプレーしたかったが、川上監督からは“他球団で活躍されると困る”と言われて任意引退選手にされてしまった。当時はそれが通用した時代。私もゴマすりができなかったからね」
積極的な補強で他チームの主力を獲得すれば、たとえ活躍しなくても相手の戦力を削ぐことになる。「川上監督としては勝たないと仕方がないのかもしれないが、当時は非情だと思いましたね」と城之内は振り返る。
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※週刊ポスト2022年4月22日号